リレーコラムについて

バスとの遭遇

山下恵介

 20年ほど前の話です。
 TCCの総会とパーティーに出た翌日、人形町のホテルをチェックアウトして東京駅八重洲口まで歩いた。土曜の朝で、駅の周辺はいつもよりも人の往来が少ない。今日は仕事の予定もないし、このまま新幹線に乗って大阪に帰るのもつまらないな―
 そう思いながら横断歩道を渡っている時、駅前ロータリーに停まっている都営バスが目に入った。行き先は南千住車庫前となっている。全く土地勘のない地名だったけれど、ついふらふらとバスに乗り込んだ。
 東京駅を出たバスは今歩いてきた道を逆の方向に走り出した。日本橋、室町、小伝馬町、馬喰町、浅草橋、蔵前、駒形と、江戸時代を舞台にした小説や映画でよく目にする名前のバス停を過ぎていく。時代劇のセットと目の前を通過していくビル街とのギャップに、ちょっと戸惑いを感じる。
 浅草の松屋デパートを過ぎたあたりから街並みは急に古びてきた。建物はより低く、黒っぽくなっていく。都心ではめったに目にすることがない葬式の花輪を出している家もあった。
 終点の一つ手前のバス停では泪橋というアナウンスがあった。泪橋?ここが丹下ジムがあった場所か(マンガ「あしたのジョー」の話です)。
 終点のバス停はコンクリートの鉄道の線路に遮られた行き止まりにあった。長い歩道橋が線路を跨いで伸びている。歩道橋を渡って向こう側に行ってみると線路と高架線に挟まれた細長い敷地に巨大な石地蔵と墓地があった。墓地の入口の案内板を見てみると「小塚原刑場跡」という文字が目に入った。件の石地蔵は「首切り地蔵」というらしい。
 興味本位で墓地に入るのもためらわれて、前方にある高架線をくぐると、古びた商店街が伸びていた。まだ昼前だというのに堂々と暖簾を出して営業している居酒屋もあった。標識によると「コツ通り商店街」というらしい。コツ通り?骨通り・・・
 そのあとどうやって東京駅に戻ったのか思い出せないのは、よっぽどその時に受けたインパクトが大きかったからかもしれない。ほんの30分ほど乗っていたバスによって、自分が全く予期していない異界に運びこまれたような心持だった。

 東京に住むようになってから、南千住界隈は異界どころかすっかり日常世界の一部になっている。安くて居心地のいい飲み屋が何軒かあって、そこで知り合った地元に住む人たちもいる。昼間からやってる居酒屋にも堂々と暖簾をくぐって入り、また来たのかという顔をされる。
 そしていい加減に酔っ払ってきたら、泪橋からバスに乗って家に帰るのだ。

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