リレーコラムについて

山中貴裕と愛すべきデザイナーたち(2)

山中貴裕

世の中でいちばん強い男というのは、
“自分を笑える男”ではないだろうか。
「強い」を「モテる」と言い換えてもいい。

中途で入社してきた日比野共は、最初、
クリエイティブ局のみんなから避けられていた。
たぶん、ぼくより3つくらい年長だから、
彼は30を過ぎていたと思う。
まず、アルカイダのような中近東風の顔が、怖かった。
なのに妙に腰が低く誰にでも敬語なのが、怪しかった。
滑舌が悪くわかりにくいので、からみずらかった。

昼休み、ポツンとひとり、席に取り残されていた
日比野さんをランチに誘ったのは、
ぼくの気まぐれだった。
新大阪のホテル・ラフォーレで、
ビーフシチューランチをすすりながら、
彼はひたすら「いかに自分が野良犬か」を語り続けた。

「ぼくなんか美大を出てないから
 基本がなってなくて、全然ダメなんすよ」
「学がなくて、滑舌も悪いから。
 何言ってるかわらないでしょ、マジで。ははは」
「山さん、TCCなの!?すげぇ!で、TCCって何すか?」
「この前まで、コンサート会場の警備のバイトやってたんす」
「大学に剣道のスポーツ推薦で入れそうだったんですけど、
 面接で、本当はアメフトやりたいって言っちゃって
 落ちたんです。ははは。ははは」

ぼくは、いっぺんに彼が好きになった。

三流コピーライターのくせに、ぼくには、
自分で勝手に「黄金時代」と呼んでいる時期があって、
それは2005年から2007年までの三年間だ。
朝日放送、追手門学院、大日本除虫菊というクライアントの
いずれもグラフィック作品を次々とつくっていた時期で、
ぼくのTCC年鑑掲載も、この頃のものが多い。
というか、それ以降ほとんど掲載されていない。

この時代によくいっしょに仕事をしていたのが
日比野共というカッコイイ名前のデザイナーで。
顔もじつにカッコイイいわゆるイケメンで、
たぶん、ぼくより3つくらい年長で、
中途採用でやたらと腰が低くって、
新入社員とかにも最初は敬語でしゃべるので、
逆に、からみずらくって…。

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