リレーコラムについて

32、3歳からのTCCへの道 前段篇

細田佳宏

年末駆け込みプレゼンに手を取られて書くのが遅くなりました。別になくても早くはないけども。なんならないほうがAmazonプライムでザ・ボーイズとか観てて遅くなりますが。

話を戻しましてコピーライターが広告に興味を持つのっていくつぐらいなのでしょうか。

広告業界にはキャプテン翼が好きでサッカー始めました、みたいなノリで子供の頃見たコピーが好きで広告目指しました、みたいなコピーは友達みたいな人がいますけど私は特に何の興味もありませんでした。そもそも島根だか鳥取だか、階段からころげ落ちた拍子に入れ替わったとしても何のドラマも始まらなさそうな存在感の県で育った子供は広告に興味などもちようがないのです(個人の偏見です)。巨匠、大林宣彦監督をもってしても三部作が始まらない、それが山陰と山陽の違い。おそらく広告サイドも興味がなかったのでしょう。屋外にはまんべんなく人がいないのでOOHなどありません。TVCMはだいたい時が止まってるしオールナイトニッポンもたぶん都会ではCMなんだろう部分に長時間エリック・サティみたいなインストロメンタルがかかります。唯一広告だと受け止めていたのはジャンプの表3に載っていたブルワーカーの漫画ぐらいです。そういうわけで私は進学で大阪にたどりつくまで広告にエンカウントしないまま過ごすわけです。

こう書くと、お、大学でやっと広告に覚醒する激アツな展開かなって思うかもしれませんが、私のストーリープロットは相当作り込みが甘いわけです。このまま出版社に持ち込むと編集さんにボロボロに酷評されるやつです。弱メンタルの私は無理なやつです。バブル末期に大阪に出た私は当時盛り上がっていた小劇場と映画に迷い込みます。島根県民会館ぐらいしか知らない若者に扇町ミュージアムスクエアや北野劇場は輝いて見えたのだと思います。いやどれも薄暗いけれども。ともかく4年間ぴあの裏でチラシの挟み込みをしたり大毎地下劇場で2本立を3回見たりして過ごしました。

ぜんぜん広告と出会わない。秒速5センチメートルの貴樹と明里よりも出会わない。ドーチカあたりですれ違っていたかもしれないけどミキサーさんもワンモアタイムワンモアチャンスを流すきっかけを失っている。そもそも一度も出会ってないのだからワンモアどころかノーモアチャンスです。こうして電通も博報堂も知らないまま私は社会に出ることになります。

さすがに働かないとだめだろうと私は就職合同博的なものでふらっと入ったIT会社に拾ってもらいます。相変わらず何の伏線もなしにITとか出てくる雑なプロットに嫌気がさしますが、大学の情報処理センターにあったNeXTSTEPでエヴァンゲリオンの画像を探していたような今ではインターネット老人会の私には自然なことでした。私の入った会社はいまでこそCMをバンバンうつような会社になりましたが、当時は雑居ビルのフロアで私はそこでコピー機のプログラムをしたりするようになります。C言語で。広告から遠ざかり過ぎてもう違うコピーが登場してるし操る言語は日本語ですらない。そうして1日中コピー用紙がコピー機の中をガーガー流れていく様子を見守ったりするような違うコピー三昧生活を送るようになります。

そんな会社で何年か過ごしたある日、隣にいた同僚にこれ応募してみいへんかと渡されたのが宣伝会議賞の告知でした。受け身感がすごい。やっときた出会いなのに。昭和のアイドルの応募動機か。いつまでも次のコーナーいかないからフロアディレクターがしびれを切らしてカンペ出してきたみたいな遅さ。もうこっちは30年以上経過しちゃってますからね。私の中のイマジカで編集さんがここまでのくだりバッサリ切っちゃってもいいスカって目で見てくるぐらいそこそこの間延び感を醸し出してきているわけです。Amazonでももっとちょっと早くおすすめしてくるよね。こちらもお好きかもしれませんってすすめてくるよね。ボーイズ見てるならウォッチメンもどスカ?みたいにすすめられればまんざらでもないかなってリストに入れておこうかなとか思うわけですよ。

私はそろそろ読者もいなくなったころこうしてやっとタイトルのスタート地点にたどりついたわけです。

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