リレーコラムについて

紛れもなくこれもコピーなんだな(1) 「国鉄はワタクシ」

碓井智

■ご挨拶■

岡野さんより、バトンを受けまして今週から担当させていただく、        

「東京(川崎だけど)出身なのに、関西17年目のコピーライター」

電通関西の碓井智(ウスイサトシ)と申します。

2004年に、「年鑑」に関して書かせていただいて以来

2回目のコラムなので、もう余裕綽々と言えればいいんですが

ライターのクラブの、ホームページのコラムとなるとやはり

ツイッターとかフェースブックに書き込むのとは違う

いや〜なGがかかりますね(笑)。

7年前とは、環境が大きく変わってますので

コラムというものに向かう姿勢は少なからず変化はしていると

思うのですが、何を書いたらいいのやら、というテーマに関しては

アタマを悩ませないとなかなか書くべきコトが見つかりません。。。

そういう意味では、「つい」も「ふぇ〜」も、反射的に書けばいいところが

秀逸ですよね。

■コラムにはテーマが必要だ■

なんて決まりはないんでしょうが

1週間連日、何か書かなきゃいけない、という強制力はきっと書く能力を

鍛えてくれる、とてもいい機会に違いないと

17年目ながらも、常に向上心を忘れないワタシは(二谷友里恵みたいだ)

やはりテーマを自分に課して、さあ書け!休まずサボらず書け!と

ムチを入れたいと思うのです。

今年、バカボンのパパと同じ41歳になる身として

適切なるテーマは何か、と3日3晩考えあぐねた結果、

表題のようなテーマで展開させていただくことに致しました。

競合プレゼンでもないので、それが適切であるか否かは

誰も判断してくれないのでしょうが、「ふぇ〜」だと、

「いいね!」の数かなんかで、自己評価して

自己満足したり、ちょっと傷ついたりするんでしょうけど

幸い当コラムでは、そんな残酷なシステムは採用されてないので

書き散らすだけ書き散らそうと思うのであります。

(ライターのクラブの、という本質からどんどん逸脱してる。。。

 怒られるな、きっと、厳しいあのひとに。)

■最近、新聞が面白い■

3.11の震災以来、妙に朝早く目が覚める。

今日は、4時半。年明けから、朝の散歩を習慣にしているので、

ちょっと早いけど、半そで短パンサンダルで、外にでる。

一応、関西でも有数の高級住宅地といわれる芦屋市なので

あまり怪しい態度でうろつかない様に心掛けているのだけど

最近はただ歩いているのが退屈なので、未読の新書を書棚から取り出すか

朝刊をコンビニで買うかして、歩きながら読む、「ウォーキン・リーディング」が

すっかり習慣化してしまっている。

これで、クルマかバイクに轢かれたとしても、たぶん歩行者にも問題あり

ということで、保険金に大きな影響を与えてしまうんだろうな。

でも、やめられない。

なぜか。

特に、新聞が妙に面白く感じるからなんだと思う。

震災以降、面白い記事を書ける記者と、つまらない記事しか書けない記者の

違いがどうも大きく色分けできるように思えるからじゃないか、と思う。

決して、誤解して欲しくないのは、震災関連とか、政争関連とか、

その状況を面白おかしく書いているとかそんなのではなく

この【コトバにしづらいモヤモヤした状況】を

的確に記事にしてる記者に対して大いにリスペクトを感じられる

ということなのです。

記者クラブにどっぷりと浸かった大手新聞社の記者に

そんな目からうろこの記事を書くことができているか、といわれれば

必ずしも、原発関連でジャーナリスト精神を発揮して

知り得なかった事実を「スクープ」してくれる人なんかいないのですが

そんな刺激的な記事でなくても

ふとしたコラムや、記事の構成なんかで

「あ、この人はわかってる。それを、こういうカタチでメッセージを送ってくれてる」

と感じ取れる記事が本当に稀ではあるけれど、

週に1回くらい出会えることが起きて来たのです。

それは、読者である自分の変化のような気がして

新聞の記者の変化ではないのかもしれない。

もしくは、変な信号を受信するようになった自分の精神的な変調(笑)。

とにかく、世間でいう凋落メディアといわれる新聞の

130円ばかりだせば得られる悦びに、最近は大いにハマっている。

■面白いと思うモノの変質■

しかしながら、その変質は、もしかすると震災のせいではなく

もっと個人的な仕事に関するもののせいかもしれない。

一昨年より、広告をつくる部署から離れ、「何か」をつくる部署に異動し

自分の興味の範疇が大きく変わってきているのを常々カンジている。

テレビは民放地上波を見ることがほとんどなくなり、NHKとか民放でもBSとかが

多くなった。41歳を迎える歳のせいかもしれない。

不思議なもので、コピーライターという肩書と仕事の内容はそう変わってないのだけれど

会社というところは、部署ひとつ変わるだけで、その人の仕事の内容をいともカンタンに

変えてしまう。サラリーマンのサラリーマンたる所以だろうと、つくづく思う。

別に、給料は変わらんので、広告をつくる仕事の多寡は、さして苦痛ではない。

そもそも、用意されたスペースに広告をつくって埋める作業は、それ以前に

大きく減ってきている実感はもう5年くらい前からあったので。

とはいえ、コピーを書かない仕事はつらい。

なぜか。広告をつくるか否かは、自分のアイデンティティにあまり関係ないが

コピーを書くか否かは、大いに関係があるから。

サラリーマンではあるけれど、コピーライターでもある。

TCCの会員であり、会費を払いつづけることの動機は、ここにあるから。

よくいえばどん欲、悪く言えば、TCCを利用している。

大阪だと、東京とつく肩書きは、なんか凄そうに見える。

大阪なのに、東京なの!ってカンジで(と言われたことは具体的にはないけど)。

少し岡野さんのテーマを引き継げたかな?

それはともかく、広告をつくる仕事は少なくなっても痛痒はなくても

コピーを書かない仕事は、これはツライ。

分析よりも文責を、負いたい。

営業よりも改行に、こだわりたい。

38文字以上になると、このコラムも読みにくくなるそうです。前回のコラムで、それを無視して書き連ねたら読者の人に指摘を受けました。しかし、もはや、これだけダラダラ書いてしまえば、すでに読みやすいとか読みにくいとかの範疇を超えていると思う。全く読む人のことを考えていない、7年前と本質的に何も変わってない、ということですね(笑)。

といって、幸い分析も営業も、実質的には全くしておらず、

相も変わらず、コピーを書けている。

ただし、書いてる場所と相手が、ちょっと違ってる。

この場所、この相手にウケるコピーは何だろうと考えながら書いていると

結構、普段、なんでこの文章は美しいのだろう、と思う対象が変わってくる。

映像に関しても、なんてこれは素晴らしい映像なんだろうと

リスペクトする対象が変わってくる。

よって、自分の面白いと思う興味の対象が変わってくるのだろうと思われる。

■スゴイなあ、と思うコピー■

ようやく、テーマに近づいてきたような気がする。

明日は、絶対こんな泥沼なコラムにはしないぞ。

夜に、宴会控えているし。

今、読んでる本が

『まかり通る 電力の鬼・松永安左ェ門』 小島直記 (東洋経済新報社)

『未完の国鉄改革 巨大組織の崩壊と再生』  葛西敬之 (東洋経済新報社)

の2冊。

まかり通るは、震災を機に、ということではなく、学生時代から小島直記が好きだったので

実に、20年ぶりくらいに読み返しているもの。

そして、未完の国鉄改革は、当事者本人が分割民営化にあたって、

まかり通るを参考にしたという

記憶が甦って、読み始めたもの。

まあ、共通点は多いけど、だからといって、コレが何につながるというものでもない。

読書は娯楽であり、仕事であり、習慣だから、深い意味はあまりない。

でも、確実に、嗜好は変わった。

変なテクニック本とかは、もう読まない(笑)。

で、どこにコピーがあるかというと、

『未完の』のなかに、昭和50年の6月中旬に3日間にわたり掲出された

新聞全面広告の話がでてくる。

そのキャッチコピーが

『国鉄(わたくし)は話したい』

『あなたの負託に応えるために』

『健全な国鉄を目指して』

というもの。

ちょっと前なら、この3つのコピーに感じることはなかったんだろうけど

今の、この時代の、この状況においては、(世の中、というより自分の)

ひどくカンジルコピーに思えてしまうのである。

なんてことないし、実際、この時期よりもっとあとにドロドロがあって

実態とはかけ離れた広告ともいえるんだけど、純粋に、この3つの並びが

清々しい。

国鉄の分割民営化は、昭和62年だから、

十年も前に、出していた広告ではあるんですが、意見広告として

ひとつの企業が問いかけていたのですね、民意に。

要は、当時の運賃が低く抑えられ過ぎているので、

国民にとっての大切な財産である国鉄が食い潰されそうになってるんだ、

という意見だったようです。

その背景には、政治とか、組合とか、いろいろな難しい状況はあったけど、

「国鉄」=わたくし、と読ませるトコロなんか、ジーンとくる。

(やはり、変な電波を受信してるかな?)

コピーのチカラが、今どうこうというのは陳腐なテーマかもしれないけど

社会と対話しようとする企業の言葉のメッセンジャーは、やはり

コピーライターしかいないと確信している。

「紛れもなく」というからには、広告以外の所で、コピーを探してきて

ほら、ここにも素晴らしいコピーがあるよ、と

気づかせてくれるものだと、期待されてたみなさん

(ほとんど、ここまで読むひとはいないと思うが)

ごめんなさい。

やはり、紛れもなく僕は広告のコピーライターなので、

やはり、広告のコピーの話になってしまうのは致し方ないようで

あえていえば、これまでいいと思ってきた広告のコピーの嗜好が

大きく変わってきていて、これまであまり「素晴らしい!」と思うことのなかった

コピーが、「紛れもなく素晴らしい広告のコピーなんだ」と思える

パラダイムの変化が、広告コピーの世界にも起こり始めている気がする。

自分の中で。

あくまで、自分の中で、なので、それが本当かどうかは、追求しないでください(笑)。

あえて、いえば、経営的なことを言及するにしても

コピーの良しあしによって、その戦略が良さげにみえるかどうかも

大きく変わってくるよなあ、

それもコピーのチカラだよなあ、という雑感で

さして新しくもないけど古いとも思わない自分なりの発見というのかも。

長いつぶやきに辟易された方には、ごめんなさい。

だから、「つい」は、140文字に制限してるのだろうとも思う。

よくできたメディアだと思う。

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