リレーコラムについて

茶道が教えてくれること

野澤友宏

二年ほど前、茶道をはじめました。
上野・池之端にある江戸千家の家元に師事しています。
よく「お茶を習う」といいますが、通い始めてみると、どうも「習う」というのとはちょっとニュアンスが違う。もちろん予備知識ゼロで入門しているので、お茶の飲み方からお茶碗の扱い方まで手取り足取り教えてもらっているのですが、だからといって、なんというか「お茶を上手にたてる方法」を習っている訳ではない気がする。じゃあ、「学ぶ」のかというと、それも少し遠い。教科書を手に茶道の歴史を教わる訳ではありませんし。
自分にとっては「師事する」という言葉が、いちばんしっくりきます。
『この人を師と仰ぎ、そのふるまいを範としよう』
家元からは、茶道そのものはもちろんのこと、それ以上に「コミュニケーション」や「生き方」までをも教わっているような気がしています。

今年四月のはじめ、東京・護国寺で「春のお茶会」があり、家元が亭主となる茶席のお手伝いをすることになりました。
茶席では、床の間に「軸」を掛けます。書であったり、水墨画であったりしますが、茶席でいちばん重要とされるアイテムです。亭主は、まず床の「掛物」を考えることからはじめ、その掛物を中心にその日に使うさまざまな道具を決めていくと言われています。床の間の掛物は、その茶席の「テーマ」を表すもの。茶席に臨む亭主の「思い」が込められています。
春のお茶会ということもあり、当初は、家元席の床の間に桜の書画をかける予定だったそうです。しかし、時は折しも、大震災から数週間がたったばかり。そもそも、お茶会の開催を自粛した方がいいのではないかという声も少なくない時期でした。
その日、家元が選んだ掛物は、江戸千家流祖の一行書。

『懈怠の比丘明日を期せず(けたいのびく あすをきせず)』
(自分のような怠け者には、明日のことは分からない。今日が、今こそが大切。今日この時を、精一杯生きよう。)

この意味を家元から聞いた瞬間、胸を打たれました。
「人々が心を乱している時だからこそ、せめて来ていただいた人にはお茶で心を鎮めてほしい。こういう苦難の時にこそ、茶席を設けることに意義があるのではないか。」
自粛をすすめる声に思い悩みながらも開催に至った家元の思いがその軸には込められていました。
亭主は「客の思い」を考えに考え、小さいけれどのびやかな空間と短いけれどゆったりとした時間を設える。招かれた客たちは、「亭主の思い」を静かに受け止め、一服のお茶をみんなで分け合う。室町の時代から戦乱の世を経て今の時代に至るまで人々の心を鎮め癒してきたのは、そんな思慮深さだったような気がしてなりません。

  桃山の城にひとりの利休いて
  なごやかなりやたゝかいの世も(歌人・吉井勇)

今、そして、これから求められるコミュニケーションとは何なのか。
どんな広告が必要とされているのか。
家元は、時に、僕の「コピーライターの師」にもなるのです。

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朝倉さんという偉大な大先輩からバトンをいただき、少々緊張しています。
緊張しすぎてなんだか文章が硬くなり、ああでもないこうでもないと書き直しているうちに、初日から締め切り時間を過ぎてしまいました。すみません。

ううむ、なんとかこの緊張をほぐさねば。
お茶でも一服たてようかな。。。

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