リレーコラムについて

ネコ

神田祐介

母の実家が福井にあります。
深く山に囲まれた町。

夏休みになると毎年のように遊びに行っていたその家には、
農業を営むための広さを持て余すように、祖父母が二人しずかに
暮らしていて、小学生のボクにとってはその静けさが新鮮なものだった。
埼玉から車で8時間。騒がしい夏の間に4日だけ、その静けさに会いに行くのが
毎年の恒例行事だった。

ある年の夏、いつものように祖父母の家に行くと
少しだけ騒がしくなっていた。
家族が増えたのだ。
家族といっても、ネコ。「祖父母」+「ネコ」。
祖父が拾ってきたそのネコは、何年もだだっ広く横たわっていたその家の静けさを、
たった一匹で見事にひっくり返した。

祖父は無口な人で、にぎやかに駆け回るネコを黙って静かによくかわいがっていた。
そんな祖父とは反対に、祖母はまったくかわいがらず、
ネコに対するその感覚は、「飼っている」というより「そこにいる」、に
近かったように思う。食卓に上ったネコを、野良猫のように追い払っているのを
よく目撃した。母は、「この辺の田舎はみんなそんなかんじよ」なんて言ってたけれど。

それから数年。にぎやかになったその家に、再び静けさが訪れた。
祖父が死んだのだ。
その年は初めて真冬に福井を訪れた。
深い雪の中、町人総出で執り行われた葬儀は慌しく進み、
家族は急かされるように涙を流した。そんな様子を知ってか知らぬか、
ネコは家の隅でおとなしくしていた。

棺に入れられた祖父は男達にかつがれ、山の上の火葬場に運ばれていく。
小学生だったボクも、男という理由で背の届かない棺を一緒に運んだ。
今にも雪を落としそうな重くのしかかる空に、一筋の煙が立ち昇っていく。
家に戻ると、部屋という部屋がしんしんと静けさに包まれていた。
そこにはもう、祖父はいなかった。
そしてまた、ネコもいなかった。

祖父がいなくなってから、一度もそのネコの姿を見たことはない。

もちろん偶然かもしれない。
偶然だったらまだ、救われるのに。

NO
年月日
名前
5976 2025.10.14 尾上永晃 好奇心は鍬である 「音楽・ジャズ喫茶案内」
5975 2025.10.13 尾上永晃 好奇心は鍬である「オーディオ沼顛末」
5974 2025.10.12 見市沖 本音の独立談 その3
5973 2025.10.11 見市沖 本音の独立談 その2
5972 2025.10.06 見市沖 本音の独立談 その1
  • 年  月から   年  月まで