リレーコラムについて

ナーリさんのこと。

小笠原健

カンボジアにレンガを積みに行った。
人助けとか、ラブ&ピースとか、そういう言葉を人前で口に出すのが
恥ずかしく思っていた大学3年生の春のことです。

理由は単純。
当時、建築デザインを学んでいたぼくは、
ある建築家のボランティアツアーに参加しただけだった。

ミーハーな感じで。あくまでミーハーな感じで。

現地に着いたときから面倒みていただいたのが、
小笠原さんという同じ苗字のおじいさん。
ナーリさんだ。
苗字が同じ他人に合うのが珍しいらしく、
「おい!小笠原!・・・さん(超笑顔)」
「なんですか?」
「ははは、いいじゃねえかよ。
自分の名前を大声で呼べることなんて
メッタにないことなんだからよぅ。」
1日20回は、そのやりとりがあった。もっとあったかもしれない。
でも嫌がるわけでもなく、笑いながら「なんなんすか」を
何十回も何百回も言えたのはナーリさんの人柄のせいだと思う。

60年代ヒッピーの生き残り。
そう、彼は百戦錬磨のヒッピーだった。
友達のロシア人(だと記憶)との友情のために、アフガンに行ったとか。
気絶して気づいたら、死体置場に埋もれてたとか。
起き上がると警護兵にゾンビだと怯えられたから撃たれなくて済んだとか。
とにかく話が壮絶過ぎて濃ゆい。
ナーリさんの人生を一部見るだけで、
カンボジアのぬるい瓶ビールが何杯でも飲めた。

――――――――――――――――――――――

ナーリさんは、日本とインドの中間点くらいのカンボジアで、
空飛ぶ車椅子財団というものを立ち上げて、
工場で、地雷被害者の方のための車椅子をつくっていた。

ある日、ふらっと街中を歩いていると、
ナーリさんがいきなり叫び出す。
ある男を見つけたらしい。
両手を広げて、迎えるようにして近寄っていく。
「お前元気でやってるか」
「あんたがくれたこの車椅子でなんとか商売できてるよ」
久々の再会に、こぼれんばかりの人情で応えていた。
70過ぎたおじいさんが、涙を浮かべて、ふるえる声で。
大の男が抱き合って。
もう見ちゃいられねえよ。
べらんめえ口調が伝染っちまったじゃねえか。

寅さんを1回も見たことがないぼくでも、
寅さんはナーリさんのことだと確信しています。

あの夜も、またひどく酔っ払っていた。
「おい!小笠原!聞いてんのか!」
「なんですか、もう酔っ払ってんですか」
「ラブ&ピースって聞いたことあるだろ」
「そりゃまあ」
「日本語に訳したら、義理人情のことだよ」

そう言ったナーリさんは、いまどこで何してるのかな。
平穏な日常とか老後なんて似合わないナーリさん。
穏やかな日々を生き苦しいとか言ってないですよねえ。
言ってて欲しいけど。

ナーリさん、ぼくはあなたのこと忘れませんから。
義理じゃないっすよ。いや、義理かな。

―――――――――――――――――――――――――

はじめまして、博報堂の小笠原健です。
昨年、富士ソフトさんのロボット相撲大会との恵まれた出会いがあり、
今年からTCC会員になれました。

細田さんから、密室のエレベーター内でバトンを受け取りました。
細田さん、ちゃんと見てますか。
エレベーターで会話は慎むように、って貼り紙。
ぼくはちゃんとそれを読んでいたので黙って笑顔で応えていました。
快諾。ということになっていました。
来週は忙しいかもですよ。のフェイスランゲージだったのですが。

一日目から長くなってしまいました。
文字数制限のない文章なんて久しぶりだから
思い出したことをつらつらと書くことにします。

一週間よろしくお願いします。

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