リレーコラムについて

Y師匠

佐藤理人

鳩山さん、辞めちゃいましたね。
がんばって欲しかったのに、残念です。
基地の問題が直接の原因なんでしょうけど、
あんなの誰がやっても難しいと思うんですけどね。
公約がどうとか、きっと他にもいろいろあるんでしょう。
でもぼくはそれよりも、ニュースや新聞や雑誌が、
連日こぞって批判の大合唱だったことのほうが気になります。
せっかく期待をこめてみんなで選んだ歴史的な新与党じゃないですか。
否定的な立場ばっかりとらないで、
もうすこし応援してあげてもよかったんじゃないでしょうか。
ワイドショーとかで8ヶ月前とは手のひらを返したように、
したり顔で批判を繰り返す政治評論家の方々を見ていると、

「だったらテメーがやってみろや」

とつい思ってしまいます。

批判や批評は誰でもできる。
文句を言うヒマがあるなら手を動かせ。

そのことを誰よりも教えてくれたのが、
ぼくのコピー師匠の

「Yさん」(以下、Y師)

でした。

すぐ調子に乗るのがぼくの悪い癖で、
転局試験に合格してコピーライターになったばかりのぼくは、
クリエーティブというものを完全にナメてました。
それだけでなく、会社を、仕事を、人生を、世の中のすべてを、
ナメてナメてナメすぎて、噛むンとフニャンフニャンになるくらい、
心底ナメきっていました。

それが、人生のピークだとも知らずに。
アホですね。

あれだけ難しい難しいと脅かされた試験を、
一発で、しかも一番で通っちゃったんです。
なーんだ、別に大したことないじゃん。ビビって損した。
そう思いました。

TCCはおろか、コピー年鑑の存在すら知りませんでしたし、
コピーというのはちょっと詩っぽいことサラサラッと書いて、
テキトーに点や丸を打って、これがコピーですって言えば、
それがコピーになるんだと本気で信じてました。
ついでに今だから言っちゃいますが、クリエーターも嫌いでした。
人の金で自分の好きな物をつくっては賞穫りに奔走する、
アーティスト気取りの人々という印象しかありませんでした。
そのせいで営業の自分が苦労しているんだ、と。
(こうして改めて字にすると、我ながら気が遠くなるほどアホですな…)

営業時代のぼくを「脳なし営業」と呼んだクリエーターの方がいましたが、
いま思うとあれほど的確なネーミングはありません。

そんな最悪の状態で、ぼくはY師に出会いました。

Y師は、年のころは40くらいで、
小さく均整のとれた頭には不似合いながっしりとした体格の、
一目で格闘技経験者だとわかる人でした。
例えるなら、本場アメリカのB系男子御用達SUV
「リンカーンナビゲーター」が、
日本の道路用にうまくダウンサイジングした、そんな感じ。
全身から漂う気迫は、広告学校で出会ったS先生に
勝るとも劣らないものがありました。

Y師の右手には、サイコガンならぬサイコペンが仕込まれており、
そこから繰り出されるコピーは、コブラも真っ青な破壊力。
切り口の巧みさと技の多さは、
まるでノゲイラに関節を極められたときのよう。

あれ、人ってこんなとこに関節あるんだ。

そんな勢い。

Y師はぼくがこれまで出会った中で人類ヒト科最強の、
泣く子も黙る正真正銘の剣豪コピーライターだったのです。

あれ…?僕チン、ちょっと場違いなトコに来ちゃったかも…。

そう気づくのにさほど時間はかかりませんでした。

クリエーティブって、外から見るのと中にいるのじゃ大違い。
かわいい女の子がサンドイッチを食べてると思って、
もっと近くでよく見たら豚足だった、そのくらいの衝撃です。

「真夜中のカーボーイ」で、
テキサスの田舎からニューヨークに出てきたばかりの
ジョン・ボイトの気持ちが痛いほどよくわかりました。

初めて書いたぼくのコピーを見て、Y師はこうおっしゃいました。

「つまんねえ」

31歳にもなってみんなの前で怒られるのは、
なかなかにシビれるものがありました。

「仕切りが悪い」とか、
「利益率が低い」ならまだ直しようがあります。

でも、「つまんない」ってどう直すのさ。
するとY師はこうもおっしゃいました。

「コピーって教えらんないから」

第二次ベビーブームの真っ只中に生まれ、
受験戦争にどっぷり浸かってきたぼくにとって、
その発言は少々ショックでした。

なんかこう、ドリルとか参考書的なものがあって、
それを解くとコピーの実力がつくみたいのないかなあ。
コピーの肝心なところがぜんぶ空白になってて、
4択のマークシート方式だったらいいのに。
そんなことを真剣に考えました。

それからは、毎日がサンドバッグ状態。
コピーはもちろん、モノの見方や考え方についてまで、
徹底的にフルボッコのタコ殴りで怒られました。
そして仕事が終われば、居酒屋で朝まで説教です。

しかし、どんなに悔しくとも、
ぼくのコピーは一本も通ってない以上、一円も稼いでないわけで、
そんなヤツにはなに一つ反論する権利はありません。
会社とはそういうものです。

たしかにキツかったですが、
マーケや営業での悶々とした毎日に比べればはるかに楽しかった。
それは、自分で案を考えられるということが、
どれほど幸せなことかだけはよくわかっていたからだと思います。

それに間違いなく、Y師の方がもっと大変だったはず。
こんなプライドだけ肥大化した何もわかってない、
30過ぎの大きな赤ん坊を押し付けられたんですから。

あるとき「もっと情緒をこめて書け!」と言われたぼくは、
「情緒ってなんですか…?」と尋ねました。
「聞いたことはあるけど、自分、まだ食べたことないッス」
くらいのノリで。(でも、本当にわかんなかったんです。)
こんなヤツ、迷惑以外の何モノでもないですよね。

曲がりなりにもいま、
コピーライターの名刺を持ってクライアントに行き、
自分の給料分くらいは稼げているのは、
間違いなくあの2年間コテンパンにのしてもらったおかげです。
仕事をするときはいつも無意識のうちに、
Y師だったらどう考え、どう動き、どう書くかを考えています。
朝まで怒られながら教わったことは、ぜんぶノートにとってあります。
そしていま、その1つ1つがボディブローのように効いてきています。
あのときにはわからなかったことが、いまならよくわかる。
(情緒がなにかもわかった気がします。たぶん…。)

よく言われることですが、
怒られるより怒るほうが間違いなく大変です。
自分のコピーを書く時間を削り、
テクニックなんかよりもっと大きな
コピーを書く姿勢というものを教え、
クリエーティブとして生きていく力を授けてくださったY師に、
ぼくはこころから感謝しています。

ご恩は一生わすれません。
ありがとうございました。

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