リレーコラムについて

僕の人生は「使われなかったコピー」であふれてる

清水清春

みなさんこんにちは。
金沢の吉田君からバトンを引き継いだ、広島の清水です。
吉田君は僕の足掛け7年にわたる単身赴任キャラバン人生に終止符を打つべく、
交代で金沢に赴任してくれた、愛すべき好青年コピーライターです。
だからたとえ泥酔して蹴りを入れられようとも、まったく怒りません。ええそうですとも。
怒るわけがない。いや怒らんって。せやから怒らんゆうてるやろこのぼけっ。
(ボコバコズコドバビューン)

・・・えー。
ということで今日から1週間お付き合いのほどよろしくお願いします。
2度目の担当になる今回は、良く言えば原点的発想、通常の用語で言えば
ただの思いつきで進めさせていただこうと思います。
今日のタイトルは、僕の大好きな作家の沢木耕太郎さん著
《世界は「使われなかった人生」であふれてる》
をちょっともじらせていただきました。すみません。

あらためて思うに、コピーライターって、
なんというか「興味関心の天才」的なところがあるんじゃないでしょうか。
表現としてアウトプットする以前の、インプットする能力が
本当はなかなかとすごいんじゃないかと思うんですね。
いや、霊能者ばりにするどくバスッと核心を突く、なんてことも絶対ないとは言えませんが、
むしろごく普通の、当たり前すぎて誰も興味を示さないようなものでも
「おもしろい!」と目を向けて何かを発見するような。
というかたとえば2歳の子どもが道端で急にしゃがみこんで
アリさんの行列を1時間も眺め続けるような。
そんな「興味のツボ」みたいなものをたくさん持ってるんじゃないだろうかと思います。
(それを普通は「視点」と言うのだが)

で、ここから僕自身の話になりますが、自分がそんなふうに興味深く思うものや
できごとを見つけたら、誰かにそれを言いたくて仕方ないわけです。
「これって、こういうことやったりせえへん?」と言って、
「おお、確かにそういうことやと思うわ!」と共感されたい。あるいは面白がられたい。
極論を言えば、それが僕がコピーライターをやってる
いちばんの理由なのかもしれません。
いまの時代、コミュニケーションデザインがなんやら・・・とか複雑なこともありますが、
根本的には2歳児が「ママ、ありしゃん!」と言っているのと変わらないことをやりたいのだと。
(それはちがうプレイだと思うぞ)

とは言いながら、やはり広告として成り立つものは
そのうちの百分の一とか千分の一とかで、
ほとんどはどこにも表現されず、自分の記憶の中に眠っているわけです。
ということで、明日からそんな僕の身のまわりの、広告コピーにできなかった
僕自身が「興味深い」と感じたことがらやできごとをいくつかお話しします。
題して「わたしの視点的幼児プレイ」。
(どこかで方向間違えてないだろうか・・・)

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