リレーコラムについて

コピーライターになるまでも遠回り、なってからも遠回り 第3話

山内弘基

通信講座の課題を元にコピー集を作り、
ある制作会社の社長宛に送付。
運良くそこから声がかかり、
私はなんとかコピーライターになることができました。

29歳と7ヶ月、かなりの遅いデビュー。
人の3倍はがんばらないと・・・。
自分の決心ではありません。天の声でもありません。
各部署に新人紹介されていた時に、
先輩デザイナーに言われた“ありがたがるべき一言”です。
「そーだよなー」と思いつつ、
その人のデザインを見てしまった私。
ありゃ!? 正直、どーよ、それでした。
「3倍努力は、アンタのほうだ!」と心の中で叫びながら、
「がんばります」と明るく答えてその場を去りました。

身の程知らずとはこのことです。
そして、やはりというか、
人のデザインを批判するのは千年以上も早く
書くコピー書くコピーボツの山、トホホな毎日が続くことに。

そんな私にも大きな転機が訪れました。
こう書くと仕事の上でと思うでしょう。
さにあらず、結婚です。コピーライターとしての基礎を固める前に、
身を固めてしまったのです。しかも、薄給の身分で。
いやはや、私も無謀なら、妻も世間知らず。
ちなみに彼女も新人コピーライターで、
年齢が若い分、私より薄給でした。

ふたりの給料を足せばなんとかなる。のはフツーの会社。
真の薄給とは、二人分合わせても薄給であることでした。
落ち込む二人に、さらにたたみかけるようにある通知が来ました。
給料がそこそこ高い人は入居できないある県営住宅、
つまり庶民の味方のはずの県営に手続きを取ったところ、
「低すぎて家賃払えないでしょ」と
窓口の女性にあっさり言われました。
あせった私は、当時の社長にかけあい、
ウソでもいいから来月から4万円アップします!
という一筆を書いてくれと泣きつきました。
その一文を添えて、申請書を提出。
入居はかないましたが、給料はあくまで据え置きでした。

そんな波乱の新婚生活スタートでしたが、
ひとりの時よりもコピーに打ち込む時間は長くなりました。
なぜなら暇そうにしてると家事を手伝わされることになるから・・・。
料理嫌さにコピーを書く。掃除嫌さにコピーをまた書く。
洗濯嫌さに、さらに書く。どこまでも卑劣なヤツです。
けど、卑劣も日々続くと、真っ当になる。
(仲畑委員長、パクった上にアレンジしてすいません!)
少しは、真っ当なコピーが書けるようになっていたのです。
(第4話に続くはず)

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