リレーコラムについて

コピーライターになるまでも遠回り、なってからも遠回り 第2話

山内弘基

あれほど苦労して(したのは親です)コネ入社した某百貨店を、
カブトムシの後はスズムシだと言われてあっさり退社。
※なんのことかわからないという人は1話からどうぞ)
「1行ウン百万円」という甘い言葉にイチコロとなった私は、
コピーライターへの就職活動を始めたのでした。
さすがに今度は親のコネというわけにもいかず、
たまたま新聞の求人欄で見たある広告会社を受けてみました。

「コピーライターになりたいんですけど」
「営業じゃダメなの」
面接にでてきたメタボ全開な支社長は、
体型に似合わないやさしい声で私に語りかけました。
「いや、ですから制作志望で」そう答える私に、
「うちは営業が仕事を取ってきて、そのコピーまで書くんだよ」
えっ!初耳である。営業マンがコピーライターもかねてるなんて・・・。
「お客さんを獲得すればするほど、コピーが書ける。いいだろ!」
あ、怪しい。怪しすぎる!心の中でそう思いながらも、
「いいですね」と答えてしまう軟弱男。
数日後、どうせ不採用だろうと思ってたその広告会社から
残念なことに採用の連絡がありました。

考えてみるとコネ以外でうかったはじめての企業。
しかも、営業とはいえコピーライターでもあるらしいのです。
(そんなわけないと、なぜ気づかない!)
そんなこんなで始めてしまった
営業兼コピーライターもどきの日々。
そもそも学生時代に面接ウケの悪かった私が、
得意先ウケするわけもなく、
まるで数字があがらない日々が続きました。
ですが、まぁ、数うちゃ当たるでようやく
ある企業の求人広告を獲得することができたのです。

なんでもそこは、とても高級(そう)な羽毛布団を、
お年寄り相手に、ふるえあがるほどの大声で売ってしまう会社でした。
会社というよりも、武闘派集団というたとえがピッタリ。
若手営業マンには、早朝げいこまであったのです。
「イキのいいヤツ、30人は来るコピー、持ってこいよ」
そう脅された、いや依頼された私は、はじめてのコピーに挑戦しました。

「会社は、僕だ。」そうです、「コピーは僕だ」の完全なコピー(パクリ)。
得意先は激怒しました。パクリがばれたのかとビビる私の前で、
「僕なんて言葉、男が使うな!」と一喝。失禁するかと思いました。
そして、社長自ら書いたコピーを私に投げつけました。
「来たれ、ど根性!」今度は脱糞するかと思いました。
天下のA新聞に、そんなコピーが掲載可になるわけもなく、
すったもんだのあげく掲載されたコピーは、
たしか「あなたのやる気が、会社の力」でした。

コピーも書ける営業、そんなものありえないことに気づいた私は、
コピーライターだけになるべく宣伝会議の通信講座を受けることにしました。
そして、ようやくコピーだけを書けばいい会社に入ることになるのです。
(第3話に続く予定)

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