リレーコラムについて

7歳の選択 

大野政仁

どんな人でも、人生の中で、さまざまな選択をしてきたと思う。
「いや、オレは流されるままに生きてきたからしたことがない。
なにいっとんや、われ〜!」
という人も、その人なりに、その生き方を選択してきたのだろう。

ぼくの人生初めての選択は、7歳の頃だった。
その家族は、三丁目の夕日の時代なんか、
とっくの昔に過ぎている昭和40年代後半に、まさに戦国時代だった。
父は、星一徹ごとく飲んで一升瓶をたたきつけ、
母は、くノ一のごとくすばやい動きで包丁をつきつけ、
今ならすぐ通報され、毎日「お巡りさん今日もおつかれさまです!」と、
敬礼しなくてはいけないほど荒れていた。
ケンカが始まると、当然近所の人たちは、またか。
と止めに入り、おさまる。そして次の日、またはじまる。
その繰り返しだった。
幼心にこの親たちは、なぜこんなに同じことを繰り返すのか不思議だった。
愛情と憎しみ裏返しということは、まだちっとも理解できない頃だった。

そんなある日、珍しく両親が向かいあって板の間に座っていた。
母は、まだ物心のついていない弟をだき、
「先ほど、ワタシ、トイレで毒素をだしてきたの。もうスッキリよ」
といった穏やかな顔で、
父は父で下を向きながら、
「オレ、まだトイレいってないんだよ。限界なんだよ〜。カンベンしてくれ」
といった困惑の顔で、お互い何も言わないで固まっていた。
すると急に母が「どっちにする?」とつぶやいた。
「どっちって、何?」と聞くぼくにむかって、
「私たちのどっちと生きていくか?」
と面と向かって聞いてきた。
「はぁ?この人たちは、まだ小学2年生のぼくにそれを聞く?」と、
困惑しながらも、「おかあさん」と答えていた。
父と母の顔を見ると、まさにファイナルアンサー!と
まだ問いかけられているようだった。
ふたりの顔を見ながらファイナルアンサー!という顔をすると、
母は普段の父ような威厳をもった顔をし、
父は普段の母のように悲しい顔をした。

どっちかっていうと、父のほうがぼくを可愛がっていた。
だから、なぜ母を選んだか理由はわからない。
たぶん生きていくための本能みたいじゃないかと思う。

今でも果たして父のほうについてたら、
どんな人生を送っていたのだろうと思う。

だけど選択は間違ってはいなかった。
だって母についていかなかったら、
コピーライターとして生きていなかったと思うし、
このホームページで、コラムも書いていないだろうから。

         ●

はじめまして。大會社の高橋君から指令を受けた、大野政仁です。
7年くらいフリー・コピーライターをやってます
(略してフリーター。本当のフリーターにならなくてホントによかった)。
フリーで一番大変というか恐いのは、
自分で自分のコピーを選択する瞬間・・・だと、思います(たぶん)。
と、いうわけで、1週間、ぼくが今までの人生の中で選択した
いろんなことを書きたいと思います(変更したらごめんなさい)。
よろしくお願いします。

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