あっち側とこっち側
広告クリエーターって、
仕事を始めておおよそ10年以内には、何となく
「あっち側」と「こっち側」に分けられてしまいます。
「あっち側」というのは、いわゆる有名な人たち、
広告賞でも何年かに1回は必ず名前を見るような、
そんな人たちです。
推測ですが、全体の5%ぐらいじゃないかな、と思います。
で、それ以外の人たちは、
自然淘汰的に「こっち側」に分類されていきます。
もちろん「こっち側」でも
いい仕事をしている人はたくさんいるのですが、
そこではむしろ、クライアントとの良好な関係の維持、
に主眼が置かれていたりするので、
賞を獲らなかったからと言って責められることはありません。
(と言うか、だいたい出品しなくなります)
そして、このあたりから本題なのですが、
「こっち側」の人たちは、「あっち側」の人たちを、
しばしば妬んだり、特別視したりするんですね。
あの人たちは、表現に理解のあるクライアントばかりを
担当してるから、好きなことができるのだと。
いま自分たちがやっているフクザツな作業を、
あの人たちにやれと言っても無理でしょうと。
でもその意見は、たぶん間違っています。
「あっち側」の人たちは、
もともと表現へのこだわりが強かったから、
それを求めるクライアントから呼ばれるようになった
「適材適所」な人たちか、
あるいは、もともとそうでなかったクライアントを、
手間隙かけて育てていった「努力」な人たちなのです。
もし「あっち側」の人たちが
会社の事情で「こっち側」に来るとしたら、
そこに適応するのは、何ら難しいことではないはず。
だって、もともとそれ以上の水準で仕事をしてきた人たちだから。
だから、広告クリエーティブの仕事をやる以上は、
私は全員が「あっち側」を目指すべきだと思いますし、
「こっち側」の人々が妙なプライドを持つのは、
何の意味もないことだと思っています。
ちなみに私自身は、入社5年目ぐらいから、
いい巡り合わせもあって
しばらく「あっち側」の近くで仕事をさせてもらっていました。
でも、その後は力不足もあって、
「こっち側」に戻ってきています。
ここにいるとアタマを使わなくていいので、
ラクと言えばラクなのですが、
でもやっぱり、「あっち側」に行かなくちゃいけない。
なぜって、そこにはやっぱり
この仕事「本来の」楽しさがあるから。
最近は、そんなことばかり考えて過ごしています。
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