リレーコラムについて

働く。 Part?

富田安則

ほとんどコピーの話をしておらず、すみません。
話すほどの経験がないんですよ、本当に。

ということで、今日は僕の社会人としての基礎を
築いてくれた前職時代の話を中心に。

僕、新聞記者の出身なんです。容貌や言動からは
まったく想定できないと思いますが。

そもそも僕は、就職活動をまったくなめきっておりました。
いま学生に、セミナー云々と言っているのとは懸け離れており、
時折、心苦しくなってしまいます。

コピーライター or 新聞記者。

それ以外の職業には興味も持てず、覗くことすらしませんでした。
なので必然的に、応募するのはDHと朝毎経という分かりやすい
大手志向のバカ学生。でも絞りすぎると、日程は重なりまくりです。

そこで、富田安則3号が登場します。彼は有名私立高校出だったので
N新聞の最終面接とDの筆記試験が重なった時、全幅の信頼でDに
送り込みました。が、、、落ちてしまいました。1号が受けたN社も
撃沈です。はじめて人生の厳しさを知ることになったのです。

その後、最終で落ちた回数は数え切れず。自分なら受かるという勘違いが
もろくも崩れ去っていったのです。こうして内定ゼロのまま、大手の採用は
あっけなく終わりを迎えてしまいました。

でも諦めきれない僕は、人事に手紙を書いたりもしました。
でも返事は、返ってきません。自分が書いたコピーのようには
いかなかったのです。

こうして、にっちもさっちもどうにもブルドッグ状態のまま、
いよいよ最後の砦となる地元の新聞社の最終面接が迫ってきました。
その最終面接には「大学の時に、もっとも打ち込んだもの」を
持参するということを、伝えられていました。

これまでの最終落ちと、大学に行っていなかった僕は困り果て
なにを血迷ったのか、本当に打ち込んでいた「麻雀牌」を持って
行きました。その面接でのやりとり。

会長: 君は、どのくらい麻雀を打てるのかね?
僕 : たぶん皆様には負けません。
会長: (笑顔で)じゃあ、その証を見せてくれ。
僕 : 入社したら、お任せください。
会長: (ふたたび笑顔で)そう言うなら、本当に強そうだね。
僕 : なんなら、ここで盲牌でもしてみましょうか。
会長: 結構。これから期待してるよ。

僕は初めて、内定をいただくことができました。しかも麻雀で。
この上ない喜びと安堵が僕を包んでくれました。
が、「営業なら…」という条件付き。

「え、えいぎょう??」
意味が分かりません。記者かコピーライターにしか興味を
持っていない僕に、営業を勧めるのですか?? 落胆しました。
でも、内定を持っていない僕には選択権がありません。
こうして人生初の「妥協」を、自ら受け入れてしまったのです。

入社して半年間。僕は鬱になるのではないかというほど
本音を押し殺して、新聞広告の営業に明け暮れました。
「記者になりたい」。でも、なれるわけはなかった。辛い。。。

でも半年後には「営業も面白いかも」と、気ままな僕は
思うようになりました。本来はヤクザ者ですから、広告営業が
向いていないわけはありません。だけどイメージだけで仕事を
選んでいた僕にとっては、最初の取っ掛かりまでに時間を
要したのです。こうして僕は、以前にも増して営業活動に精を出し、
鬱から躁に変わっていったのです。

そんな時季、これまで一度も挑戦したこともなかった宣伝会議賞へ
応募することに。純粋に、営業トレーニングの一環として、各社1本だけ
コピーを書いてみました。その一言で顧客を刺せねば、絶対にお金は
とれない。その程度の思いで応募したら、なんと受賞してしまったのです。

「この1本で、生ゴミが減った。」(ヤマサ醤油 昆布だし)

そんな努力の甲斐あって、社内で局長賞をいただきました。
5000円。ある意味、びっくりしたのは言うまでもありません。

そんな2年間を経て、いきなりの内示が。
心の中で期待していたのは「東京支社」だったのですが、
蓋を開けると「政治部」。せいじ????????

実はその頃の僕には、もうかつてほどの記者への思いは失せていました。
広告の面白さに気付き、職種に関係なく携わりたいと思えるように
なっていたからです。妥協が、いつしか本物へと昇華していました。

そんな後ろ向きな気持ちで異動すると、そこは未知の世界。
政治家や行政の動向を日々チェックし、記事を世に送り出す。
さらに追い打ちをかけるように、異動早々の選挙取材。

まさしく今の時期もそうですが、本当に選挙期間って廃人(not俳人)
以上に働いているんですよ。まず、痩せます。やつれます。
そして身体がおかしくなります。心もおかしくなります。
寝る暇も愚痴を言う暇もないし、でも終わった時の爽快感は
何事にも代えがたいんですよ。

こうして、あっという間に記者の面白さにも気付いてしまったのです。
が、やはり広告への情熱には叶いませんでした。常に枕の横には
「広告クリエイターの素(宣伝会議)」があったし、奮発して買った
6800円だった時のTCC年鑑を読んでいる自分がいました。

「あと、やっていないのは広告制作の仕事だけだな」
そんな思いもあって、軽い気持ちでしたが、僕は一社だけ
面接を受けました。それが、今の会社です。

楽しい仕事、頼れる先輩、優しい会社。
あらゆる心地よさを捨て、僕は茨を選んでしまったのです。

もう僕には、逃げる場所がなくなってしまいました。

(明日に続く)

富田安則の過去のコラム一覧

2004 2007.07.13 働く。 Part?
2003 2007.07.13 働く。 Part?
1999 2007.07.12 住む。
1998 2007.07.11 結婚する。
1997 2007.07.09 学ぶ。
NO
年月日
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5692 2024.04.21 長谷川輝波 言葉オブザイヤー@ヘラルボニー
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