リレーコラムについて

100-50はいくつ?

濱田篤

僕は昨年、神様のような人に会いました。
といっても70歳ぐらいのお年だと思います。
とくに風貌に変ったところはなく、普段は普通の温厚なおじいちゃんです。
普通のジャケットを着ていて、普通のズボンをはいています。
長いあごひげもはえてない。でも、頭の中は超人なのです。
どう超人なのかは、またの機会にすることにして。
きょうは100−50はいくつ?って話しです。

初めてお会いして数時間後、神様はにっこり笑って僕にこういうのです。
「あなた、100−50はいくつ?」と。
コレ、困りますよね。だって「50」でしょう。ねえ、やっぱり「50」ですよ。カンタンすぎる。でもその場の雰囲気は、「ゴジュー」とは答えにくいかんじなんだ。どうしたもんかなぁ、な〜んて思っていると、
「150なのね」と神様はいうのです。150?!
「たとえば、100のあなたから50の知識を得ようとした人がいるとするね、
でもあなたが聞かれた50について知らなかったと、
そこで調べてあげたと、そうするとね、
100だったあなたは、調べた結果として50の知識が増えて150になっているのね。
つまり100−50=150なのよ。
これが因果(いんが)という考え方。じゃあ、100−50は?」
「え?いや、だから150なんですよね?」と僕。
「いいや、そうはかぎらないよ。
画図(がず)という考え方では100なのね。
さっきのように100のあなたから、誰かが50の知識を引き出しに来た。
あなたは喜んで教えてあげた。でも100のあなたは50にならない。
100のまま。わかるね。100−50=100。
まあ、そういうこっちゃ。
だから、これからは物に捕らわれた考え方ばかりをしていてはいけないね。
これからは精神の時代。考え方も柔軟に切り替えて行かないとね」

つまり物質中心の価値観でいくと、100個のリンゴから50個のリンゴをとったら残りは当然50個なんだけど、精神中心の価値観ではそうはならないよ、と神様はいうのです。この発想。ちょっといいでしょ。
このことを、すぐにコピーワークに結び付けて考えるのは寂しい気がするけど、
でも、なんだか希望みたいなものがフツフツとしてきませんか?してこない?おかしいなぁ、僕はしてるんだけど。
あしたはこの神様の話しを少々。
んじゃ、また。

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