リレーコラムについて

彼に追いつく日。

前野岳允

僕が生まれた東京都北区では、
小学校6年生になると「陸上記録会」なる、
ちょっとしたイベントがありました。
各学校で選抜された生徒たちを集めて、
陸上競技で競わせるのです。

僕は小さい頃から足が速く、
一度も負けた経験がありませんでした。
中学時代には、かるく12秒台を出してましたから。

って、別にせこい自慢をしたいわけじゃなくって、
小6の僕は、その足を買われ2種目に選ばれていたんです。
走り幅跳びと、100 m×4リレーのトップ走者。
とくに走り幅跳びは、区でトップになれるかも、
なんて先生に言われていました。
いま思えば、ちっちゃい話ですけどね。

先生の言葉通り、数十人跳躍した時点で僕はトップ。
残る人数は少なく、このままいけるかなと思っていました。
しかし、最後の方に出てきた少年にあっさり抜かれたわけです。
僕の記録とは20cm以上の開きがあって、愕然としましたね。

ショックだったのは、言うまでもありません。
しかし、さらに追い打ちをかける出来事が待っていました。

残る400mリレーで、僕と同じ組にやつがいたんです。
そう、幅跳びトップの少年。
胸のゼッケンには、「第4岩淵小 野口」とありました。
そうか、あいつは野口というのか。
今度はおれが勝つぞと。
あんなしゃもじみたいな顔したやつに2回も負けるかと。

で、結果から言うと、またも僕はかないませんでした。
いちばんアウトコースだった僕は、いちばんインのしゃもじ君に
後方から一気に抜き去られたような格好だったと思います。
勝負にならなかった悔しさより、あっけにとられたって感じでしたね。

間もなく僕は区立の中学に進み、野球部に入りました。
そこは都大会の常連校で、部員数も70名以上いました。
すばしっこかった僕は1年生の頃からポジションをもらい、
けっこう目立ってたと思います。自分で言うのもなんですけど。

しかし、中学時代の練習があまりにも厳しかったせいか、
高校では、何にもする気が起きませんでしたね。
野球はもうおなかいっぱいって感じで、毎日ブラブラしていたわけです。

そして、高校3年の夏。
ちょうどテスト休みの期間だったと思います。
テレビをつけたら、東東京大会の準決勝をやってたんです。
僕の目がまるくなったのは、早実のトップバッターを見たときです。
なんと、あのしゃもじがバッターボックスに入っているじゃありませんか。
テロップに出た名前は、忘れもしない野口。
早実のレギュラーと言えば、
僕なんかから見ればシロウトの域を超えています。
ああ、やっぱりこいつはすごいやつだったんだと思いましたね。
自分なんか、かなわないはずだと。

きっと向こうは僕の名前すら知らないと思いますが、
僕は彼のことをずっと忘れないでしょうね。
たった一度しか会ったことがない相手ですが、
たぶん一生忘れないと思います。

彼はどんな道を選び、
どのあたりを走っているだのだろうと、ときどき思うのです。
やっぱり僕のずっと前を走っているのかなぁ。

ーーーーーー
というわけで、僕の担当もようやく終了。
1週間、雑談につきあっていただいて、
ありがとうございました。
来週は、TCC同期・電通の進藤瑞博さんです。
イソジンコピーのようなかわいいコラム、楽しみにしていますね。

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