リレーコラムについて

大阪ベイブルースと悲しい色やねん(1995年)

碓井智

年鑑というテーマを決めて書きはじめたものの、あまり

に、基本中の基本のテーマだけに、何も意外な展開にな

りそうにない。はやくも、壁にぶちあたった、今週のコ

ラム。けれども、自分の生い立ちを整理するためだけに

なっても、それはそれで個人的には意義があるので、こ

のままテーマを変えずに、書き続けようと思います。実

は、自分なりに自分という人間の発見があるのです。こ

うやって、書くことによって。書くことを奪われたら、

ストレスで死んでしまうのではないか、と思う時があり

ます。そうゆう方って、結構少なくないですよね、たぶ

ん、このコラムを読まれてる方々のなかには。まあ、な

んの役にもたてませんが、もちろんあなたのストレス解

消にもお役にたてませんが、しばし、お許しを。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さて、今回の年鑑は、『TCC広告年鑑1995』。

何を隠そう、私が初めて買った年鑑です。

なんで買ったかというと、それは、就職して、コピーラ

イターになったから。なんのドラマもありませんね。

で、念願のコピーライターになって、意気揚々と、いつ

かは、この年鑑に自分の名前をのせてやる!などと若々

しい大志を抱いて自分の給料をはたいて買ったかという

と、これがちょっとばかり複雑なんですね。

それは、何を隠そう、『大阪』に勤務が決まったからな

のです!決まったというより、コピー年鑑がでていると

きには、すでに、大阪にきて、4ヶ月くらい経っていた

のですが。

大阪、大阪、ああ大阪。

川崎の田舎で小中高と過ごした僕は、大学でなんとか上

京を果たし、さあ、これからビジネスマンとしても、東

京という大都会で、バリバリ働くぞおおおおおおおお!

と思っていた矢先の、大阪配属の社命。

あら。

トカトントン。

なんか、虚無的になってきた・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

まあ、これには、伏線があって、入社前の面接で、希望

職種と配属地に関する質問があって、職種はクリエーテ

ィブ、勤務地は二の次!なんて威勢よくこたえていたん

ですね。そしたら、会社というものは、律儀に、その希

望どおり、職種も配属地も、叶えてくれたのですね。

そこになんの不満がある!といえば、そりゃ、あるわけ

ないんですけども、まさか、そのまま、そんなわかりや

すく物事決まらないだろうと思っていたので、ありゃ、

ほんとになっちゃたぞ、こりゃ、困った、と、今から思

えば世の中なめていたのか!とあの頃の自分に往復ビン

タを喰らわせてやりたいくらいの浅はかさだったのです。

まあ、研修期間中に、一度地方に行くとなかなか戻れな

いという情報を、事情通の同期から聞かされたのもあっ

たんですが。

佐藤可士和さんが、こなあいだ、大阪勤務について、ず

っと自分の意思で生きてきて、初めて会社からの命令と

いう強制力に否がおうでも従わざるおうえない気持ちわ

るさ、というような表現をされてましたが、まさにそう

そうそんなカンジ、僕がいいたかったのはそうゆうこと

って、コピーライターなら自分のそうゆう気持ちをすぐ

にコトバに変えろ!と自分にツッコミをいれてたのです

が、とにかく、なんかモヤモヤとしたものを抱きつづけ

ていた訳です。

で、大阪という地でのコピーライター生活に戸惑いを感

じつつも、やはり、一応は、駆け出しといえども、名刺

にコピーライターとはいっている以上、コピーを勉強し

なくちゃならん、というので、買った年鑑が、その年の

1995年の年鑑だったのです。

落胆のかくせぬ私の後ろ姿が、その年鑑を開いたとき、

ちょっぴり、ピコンと、反応した箇所がありました。

あ、

最高新人賞、関西からダブル受賞だ。

ちょっと、希望がでてきました。

でも、

TCC賞の関西ウォ-カーのラジオCMは、もう関

西の名人芸てなカンジの、とてもとても、自分には何年

関西に住んでても、一生かけそうにないコピーの嵐。

やっぱ、やっぱ、会社は僕に「お前は関西人になるのだ

さもなくば、この世界では生きてはゆけん!」といって

いるに違いないっっっ!わあ〜ん!

と、被害妄想も、いいとこの、勘違い的年鑑の読み取り

方。もちろん、そんなことは、会社からも、関西の誰か

らも、一言もいわれておりません。

でも、社会というものの、会社というものの、正体がよ

く見えていなかった私には、(もちろん今だってわかっ

てはいませんが)、そんな歪んだ年鑑の読み方をしてい

たのですね。

何もわかっていない私でしたが、救いは、非常にグラフ

ィカルに、ロジカルに考える先輩の下につけていただけ

たことでした。それが、95年の年鑑に載っている「ゲオ

」の広告スタッフに名を列ねている人たちです。いい広

告ですよね、今、見ても。ジャーナリストにも憧れた時

期があったんですけど、落合信彦とか(って、そいつは

ジャーナリストかいッ!て、ダメですね、いまだに関西

のボケ&ツッコミが身についていません・・・)コピー

自体がジャーナリスティックな視点で書かれていて、レ

イアウトもどんなドキュメンタリーな番組にも負けない

迫力があり、広告はこんな世界もつくれるのだと、ペン

ギンの世界とは違う感動を与えてもらったような記憶が

あります。そのとき本当にそんな正しい解釈をしていた

かは定かではありませんが。記憶は嘘をつきますから。

でも、なんか関西の意外な一面を、年鑑上で、見せて

もらったような気がしました。

コピーの児島さんとアートの中元さんは社外の方々で、

のちのちお世話になる方たちですが、イカしたグラフ

ィッカーたちに囲まれて、碓井青年は、すくすくと育っ

ていく、はずでした。しかし、そこは世の中そんなに甘

くない。苦難と困難の日々が、これから始まるとは、思

ってもいなかったのですね、この世間をなめてた青年は

・・・・・・・・・・・・。(あ、タイトルには、全く

意味がなくなってしまいました。まあ、なんか、この時

の心象風景は、上田正樹かな、というだけのことです。

すいません。)

NO
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