リレーコラムについて

派閥

照井晶博

組織や集団には「派閥」があるとよく言われる。

ぼくの場合、佐々木一派、と言われることもたまにある。

思ってて口に出さない人もいるのかもしれない。

PPM資料に「照井晶博(電通)」と書かれたことも

一度や二度じゃないから、電通と思われているふしだってある。

もともと就職活動のときの第一志望は電通だったので、

はじめて「照井晶博(電通)」と書かれたPPM資料を見たときは、

夢って思いもよらないかたちで叶うものなのかもしれない…

と、すこしだけ感慨深かったことを思い出す。

 

話が逸れた。

「派閥」だ。

じつはぼくには25年間属している派閥がある。

「井村派」という。領袖の名は、井村光明。

 

 

1993年、博報堂第3制作局宮崎グループに、

ぼくを含め3人が配属された。

ひとりは武蔵美出身。デザイナー採用の鎌田くん。

もうひとりは、岡田くん。そして、照井。

土屋局長、宮崎グループヘッドの当初の方針は、

岡田くんと照井に、CMとコピーを両方やらせて適性を見て、

一年後にCMかコピーかに振り分けよう、というものだったらしい。

しかし、ある日、CMのトレーナーだった

水原さんとごはんを食べていたとき、

「で、どっちがプランナー志望なんだ?」と聞かれ、

岡田くんがすかさず言った。「はい!ぼくです」と。

それで、ぼくがあっさりコピーライターと決まり、いまに至る。

 

で、ある時のこと。

ぼくと岡田くんが、

井村さん(博報堂では「CMプラナー」と書く)、

打田さん(コピーライター)という先輩ふたりと

ごはん食べていた時だったか、

ごはんではなく、ただ雑談をしていた時のことだったか。

たしか話の内容は、「コピー顔」。

コピーライターの人は、

いわゆるコピーライターっぽい顔=コピー顔をしていて、

照井はコピー顔じゃないな、岡田のほうがコピー顔かな、

みたいな話だった気がする。

で、その流れで、

「井村派になる?打田派になる?」と冗談っぽく聞かれた時、

ぼくはすかさず言った。「井村派になります!」と。

それであっさり、ぼくが井村派、

岡田くんが打田派と決まり、いまに至る。

 

 

井村派にとって、2018年は忘れられない年だ。

「さけるグミ」のシリーズで、

TCCグランプリ!カンヌシルバー!ACCグランプリ!

なぜか英語やスペイン語にも翻訳されたものが、

海外でもウケて、井村派は国境を軽々と超えた。

 

11月22日、派閥の領袖は、ついに決戦のリングにあがる。

ADCグランプリの大貫さんとのグランプリ対談。

対談が決まったとき、

井村さんはいつもの調子で苦笑いしてぼくに言った。

高田ヒクソン戦のときにさぁ、猪木が言ったよね。

「よりによっていちばん弱いヤツが出ていった」って。

 

違うよ。井村さん。それは違う。

 

11月22日、みなさん、ぜひ来てください。

 

 

 

 

 

 

 

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