リレーコラムについて

人生の答え合わせ

荻原海里

父は、僕が5歳の時に他界した。37歳だった。
死因は肺がん。タバコは全く吸わない人だった。
その日以来、僕は良く言えば人の心を、悪く言えば人の顔色を、とても気にする子供になった。
おばあちゃんを笑わせたり、お客さんを喜ばせたりすると、
勉強も運動も誰よりできた兄と違う形で、たくさんの人に褒めてもらことができたから。
親戚を集めて自作の紙芝居を披露したり、自らをMr.カイックと名乗りサングラスをかけてマジックを披露したり。
終わったあと、みんなが笑って拍手してくれるのが好きだった。
今思い出すと顔から火が出そうだけれど、当時は本気で準備や練習をしていて、いっちょまえに緊張したりしていた。
小さい頃から父がいないことで、寂しいと思った経験はほとんどなかった。
親戚はみんな徒歩2分以内の場所に住んでいたし、お正月やお盆、クリスマス、そして僕たち兄弟の誕生日には親戚が10人以上集まるのが毎年の恒例だったから。

何不自由なく僕は高校生になり早稲田大学の付属校に通いはじめた。高校から大学までつながる私立。
かかるお金は相当な金額のはずなのに、兄も通っていたその高校を勧めたのは母だった。
なんとなく世の中のことが見え始めた頃、ことあるごとに母に聞いていた。

「なんでうちは母子家庭なのに、私立にいって大丈夫なの?」

習い事をさせてもらって、塾にいって、たまにはゲームを買ってもらえる自分の暮らしが、ニュースやドラマの世界で描かれる母子家庭とは明らかにズレがあったから。
お金のことを聞くたびに母は少しだけ寂しそうに笑って

「全部パパのおかげなのよ。パパに感謝しなさい。」

としか答えてくれなかった。

そんな母が僕が20歳になった時、珍しく真剣な顔で言った。

「20歳になったら話そうと思っていたことがあるから、そこに座りなさい。」

僕の向かい側に座った母は涙をこらえながら話し始めた。
徒歩2分以内に住んでいて、仲良しだな~なんて思っていた親戚家族たちは、
僕と兄が寂しくないようにとわざわざ近所に引っ越してきてくれたんだということ。
クリスマスや誕生日には僕たちが中学生に上がるまで集まってあげようと話し合って決めたんだということ。
僕と兄を早稲田大学に通わせることが、父と交わした約束だったんだということ。
父がたまたま就職できた会社で出会った早稲田の友人が気が合う人ばかりで、
息子には是非早稲田に入って欲しいと語っていたとのことだった。
涙が止まらない僕に向かって、母は「約束を守らせてくれて、ありがとう。」と言った。

その年のお正月。僕が20歳になったので、はじめてじいちゃんと兄と僕の3人でビールを飲んだ。
すると今度はじいちゃんが3人でビールを飲めたことを泣きながら喜び、語ってくれた。
もう治療が難しいことがわかり自宅で過ごすことになった父を、家族総出で迎えにいった日。
何台かの車に別れて帰ったのだが、父はじいちゃんの車に乗って2人で帰ることを選んだそうだ。
車内でじいちゃんは父に言われた。

「父親よりも先に死んでしまって、本当に申し訳ない。どうか、妻と息子2人をよろしくお願いします。」

お父さんが家に帰ってくることにただ素直に喜んでいた僕とは違って、その時のじいちゃんはどんな思いだったろう。
その日から、僕らが大人になるまでは死ねないと、頑張ってきたんだと。

「おれはお前たちが一緒にビールが飲めるまで立派に育って嬉しい。」

そう言ってじいちゃんは泣いていた。

それからしばらくして、僕はあるCMに出会った。
それはTCC年鑑にも掲載されている住友生命さんの「dear my family 2015」というCM
長女の結婚式に参列する朝。
出かける準備に追われる家族。
出発前に母が言う。
「お父さんは?」「あっ忘れた。」
そう言って手に取るのは、父の遺影。
「緊張してる?」
父の写真に優しく話しかけ、大切に持つ。
幸せそうに玄関を出て行く家族に
「家族の未来に、変わりない毎日があるために。」
というコピー。

僕はこのCMを観て、自分の人生のことをやっと理解した気がした。
ああ僕は保険というもので高校と大学に通うことができたのだ、と思った。
母の「パパのおかげよ。」という言葉は嘘ではなかったんだ。
このCMでそれまでぼんやりしていた父の存在が、一気に明確なものになった。
父のおかげで生きてこれたという事実が嬉しかった。

「お父さんを忘れる」という行為のリアルさをどうして描けるんだろう。
僕の人生がそっくりそのまま切り出されたような気がしたこのCM
今でも心の中に、深く沁みています。

広告クリエイターは「瞬間を切り出す仕事」なんだと思うことがある。
そして広告は人生のふとした瞬間に光を当てられる数少ないものなんじゃないかとも。
学校からの帰り道。忙しない朝の準備。寝る直前の5分間。友人と仲直りした瞬間。
映画やドラマではワンシーンとして流れてしまうふとしたシーンを主役にできるってなんて素晴らしいんだろう。

 

dear my family 2015」を観た僕がそうだったように、誰かの人生の答え合わせになるような瞬間を切り取れるようになりたいと思いながら、日々働いています。
後輩の安達くんからバトンを受け取りました、博報堂の荻原海里です。
これから1週間どうぞよろしくお願いいたします。
(僕の人生の深いところを長々と語ってしまいましたので、明日から何を書けばいいかわからないのですが・・・)

 

 

再来週、父の23回忌があります。
家族にとって大切な節目の年にこのような賞をいただけたことを誇りに思います。

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