リレーコラムについて

ナカハタ創業始末  

佐倉康彦

〜其の伍〜 月に向かって撃て。あるいは、吠えろ

 MとK先輩、そしてぼくの3人は、相談を繰り返した。リーマンショックの
起きた年だった。本当にこんなタイミングで会社を立ち上げるべきなのか。今、
担当しているクライアントを新会社にスライドさせて持ち込むことができるの
か。持ち合う株の比率は、新事務所の場所は、新社名は、マネージャーはどう
するのか。話し合う議題は尽きなかった。意見もあちこちに錯綜し激しく衝突
した。ただ、どんなに煮つまっても思いを共にできたのは、なかはたサンと、
オヤジと新しい会社をつくるというその一点があったからだ。それがぼくらの
支えだった。繰り返し行われた3人密会の中で、ほぼ、会社の輪郭も見えてき
た。ぼくらは、その拙い青図を手に、なかはたサンに会いに行くこととなった。
木曜20時、都内某所なかはた邸。それは、その後に毎週繰り返される定例の
ミーティングの日時と場所となった。ぼくらの中で、その日から、木曜20時
は、“ハタ日”と呼ばれるようなっていた。

 ある“ハタ日”、オヤジが、なかはたサンが、その日の会議の口火を切った。
 「決めてきたんや」
 「え、何をですか?」と、ぼくら3人。
 「汐留に出資してもらう、デンツーに。社長のチョクと話つけてきたから」
 白目化する3匹の子豚。ブー、フー、ウー。
 またあるときの“ハタ日”には、オヤジから一枚のペーパーが、ぼくら3人に
差し出された。そこには太めのゴシック体で、わりと控えめなポイント数でこ
うプリントされていた。 “ナカハタ電通”とある。
 「どや。これ社名にしようと思うんだけど」
 白目化した眼球が一回転して黒目に戻る3匹の子豚、ブー、フー、ウー。
 さらにあるときの“ハタ日”は、オヤジから大量の履歴書の束がぼくら3人に
手渡された。
 「ここから社長選んでね。みんなデンツーのおぢさんたち、よろしく」
 白目が、眼球が、ぽろりと眼窩からこぼれ落ちそうになるブー、フー、ウー。
 そして、その“ハタ日”は、やってきた。
 「はじめましてTです」
 「あ、どーも…はじめまして」ぎこちない挨拶をするブー、フー、ウー。
 赤塚不二夫の漫画に出てくるウナギ犬にそっくりのその男の名字は、英訳す
れば“Moon Village”となる。その汐留からやって来た人好きのする柔らかな
表情の男が、数ヶ月後、ぼくらの新しい会社の社長となった。彼の、ツッキー
の存在がなかったら、きっと今のナカハタはなかったと思う。
 まだまだ、とんでもないことがナカハタ創業までにはあった。でも、ここに
はヤバくて書けない。ま、いつかどこかで。

 あれから、随分と時間が経った。オヤジは、昨年、古希を迎えた。お祝いの
会を企画したものの「その日はちょっと海外やった」と土壇場でのリスケで、
今年、2018年に執り行われることとなった。Mは、紆余曲折あってナカハ
タのフェローとなった。今でもぼくが煮つまるといちばんに相談するのはMだ。
K先輩は、相変わらずクールに仕事をこなしながら、ナカハタ海外支社を画策
中だ。ぼくはと言えば、いまだにこの会社でいちばんの下っ端。パシリを一生
懸命やらせていただいている。

 ナカハタは、今年、10年目の夏を迎えることになる。

                     まだまだ、ナカハタは、つづく

つぎの書き手は、ナカハタ設立時に出資していただいた汐留に在籍する大好き
な広告屋、高崎卓馬氏です。ぼくは、彼の考える企画や書く文書、そしてコピ
ーが大好きです。とてもたのしみです。

NO
年月日
名前
5690 2024.04.17 長谷川輝波 言葉オブザイヤー@新宿ゴールデン街
5689 2024.04.12 三島邦彦
5688 2024.04.11 三島邦彦 最近買った古い本
5687 2024.04.10 三島邦彦 「糸井重里と仲畑貴志のコピー展」のこと
5686 2024.04.09 三島邦彦 直史さんのこと
  • 年  月から   年  月まで