リレーコラムについて

点と線

原晋

1853年、ペリー来航。
歴史の授業ではそう習う。
「たった四杯で夜も眠れず」という落首とともに。

なぜ習うのか。
ということを教えてくれる授業は少ない。
歴史を学ぶ意味を知ったのは机上の学問も終わりに近い19歳だった。

幼少の頃から、両親と大河ドラマを観ていた私は、日本の戦国時代に興味を持った。
男の子なら多少は通る一般的な道だろう。
中でも武田信玄が好きだった。
コウエイの名作ゲーム「信長の野望」はいつも最初に武田信玄を選んだ。
強すぎるので、だいたい2度目にプレイするときは独立した真田昌幸を選んだ。

小説も武田信玄だった。
でも、何度読んでも三方原の戦いで家康を散々に破った後、京に旗を立てる目前で病に倒れてしまう。
どの小説もそうだった。
史実なのだから当たり前なのだが。
ちなみに私の誕生日は三方原の戦いの日と同じだ。

歴史少年は歴史好きが高じて、授業は世界史を選択した。
浪人した一因に、日本史を選ばなかったからだという説もある。
晴れて予備校に入学した世界史の授業で講師が放ったひと言に驚いた。

「ペリー来航がなければ、大政奉還はなかった。」

歴史はつながっている。
年号はあくまで点であり、浦賀沖でぶっ放された大砲が日本をかき乱し、わずか14年後に幕府は崩壊。
時代は明治へと移る。
歴史は線なのだ。
1853年と1867年は教科書では2つの年だが、地続きなんだ。
そのことに気づかされてから、この14年を埋める本当の歴史を知るべく、小説を読みまくった。

読み方はこうだ。
私の名の由来である高杉晋作について興味を持ったら、まず司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読む。
他の高杉についての小説を読む。
小説だけでなく、歴史本みたいなのも読む。
高杉の師である吉田松陰が気になる。
松陰の小説を読む。
桂小五郎の小説を読む。
久坂玄瑞の小説を読む。
薩摩が気になる。
西郷について読む。
大久保利通について読む。
坂本龍馬が現れて、龍馬について読む。
今度は新撰組が気になる・・・といった具合だ。
一方から見る歴史ではなく、他方から観ることで、多面的な考えが浮かび上がって、自分はどう思う、ということに行き着く。

もちろん、歴史関連のテレビも観る。
現地にも行く。

そして歴史は点から線になる。

ペリー来航は一人の青年、吉田松陰を動かし、無謀にもアメリカへ連れて行けと直談判をしに黒船に乗り込む。
が、幕府に捕らえられて弟子たちがざわつき、高杉や久坂が躍動し、薩摩と敵対。
間を取り持つ龍馬が現れ、薩長同盟を結び、長州征伐で幕府を破り、幕府の絶対が揺らぎ、大政奉還へとつながる。

これが「1853年 ペリー来航」を習う意味だ。

1997年 1浪
1998年 2浪

もう少し早く知っていれば、この2つの年号は、私の歴史に加わらなかったかもしれない。

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