リレーコラムについて

野崎家の年末

野﨑賢一

今日は、部署の忘年会に急遽行けなくなり、
閑散としてフロアで書いています。

昨日書いた風邪の治し方で、今回も喉だけで治りそうです。

年末、最終出社日はなるべく出社します。
普段「どうも」とか「おう」とかしかしゃべらない大勢の人と
「よいお年を」と仕事以外の挨拶できる、得体の知れない多幸感が大好きで。

でも、家族のクリスマスとか正月って
幸せっちゃあ幸せだけどどこかセツない。
うちの場合。

普通はどうなんでしょう。

京都市の梅津というところにあった野崎家。

新年が開ける瞬間はだいたい
真っ暗になった父の部屋をノックし、

「オトン…?」
「ん?」
「あけましておめでとう…」
「ああ。おめでとう…」

という暗い感じ。

さかのぼると
まず北海道出身の母が、新潟出身の野崎家のために覚えた
新潟のおせち料理をテーブルに並べます。
(31日にごちそうを食べるのは雪国ならではなんですね。
 他の家は正月がご馳走ということを割と最近知りました)

今だにそうですが、紅白を見ながら食事スタート。

まず開会の演出に母が必要以上に感動し
序盤に登場する現代の歌手をみながら乾杯。
みんな珍しく笑顔。会話も弾む。
しかし、ここが幸せのピーク。

最初は普段あんまり会話がない父とも

「賢一、最近はこんなのが流行ってるのか」
「そやで、これはな○○っていうねん」
「そうか」

みたいな和やかな感じ。

しかし。
お酒が回ってくると陽気になってきた父は

「ほんと最近の歌は歌詞がぜんぜんわからないな、賢一」
「ほな、見ーひんかったらいいやん」
「わかったわね、
 俺は違うの見るわね、いなくなるわね」(新潟弁)

陽気になればなるほど失言が増える。
そして、子供は反発する。
21時頃には食事も、賑やかさもなくなるお茶の間。
父は、いつの間にか自分の部屋でウィスキーに。

そして
フィナーレは、年越しそばくらいに。
酔った父が部屋から出てきて
車で初詣行こうと言い出して
口喧嘩になり部屋の戸をバタン!と締める父。

このコラムのイントロの新年の挨拶に。

クリスマス、正月以外も
旅行も、買い物も、なんでもそう。

もう、家族のイベントと喧嘩はセット。
なんで、そこで怒る?みたいなくだらないものばっかり。

5人家族、狭いマンションの一室で肩を寄せ合って
それはそれはまあよく悲喜こもごもありました。

家族とか生活はやっぱりどこかセツなくて
そんなお茶の間が、今はお茶の間は減ってますが、
理屈抜きにフッと雰囲気がよくなるCMをつくって
商品がヒットして、クライアントに喜んでほしい。

究極はそんな仕事がしたいです。
時代が変わっても、家族はなくならないし。
家族の関係はきっと変わらないから。

喚起させる、理解させる、好意度をあげる、
みたいな会議室言葉にまどわされず、一生懸命、真摯に。
見ている人へ。

商品を伝えながら、人を描く。ということなのかもしれません。

そういえば
「ユニコーンって
 ヒゲとボインとか、大迷惑とか、
 よくサラリーマンのこと描けますよね」

新入社員で営業部署にいたとき、
先輩に連れて行ってもらったスナックで
かかっていたユニコーンを聞きながら言うと
ママが一言。

「経験してないから、描けるのよ。
 経験してたら、描いてる余裕なんてないわよ」

なるほど。
その道のりは厳しい。

ユニコーンの雪の降る町が聴きたくなってきました。

もうすぐ打ち合わせなので。すみません。

今日は寒波で日本中荒れているみたいです。
忘年会の方は帰り道、お気をつけて。

まあ、こんな忙しい日に
誰も読んでいないとは思いますが。
読んでくださった方、ありがとうございます!

また明日、よろしくお願いします。
野崎賢一でした。

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