カネの話
コンビニでおつりをもらったら、十円玉が緑色だった。
それはそれは、きたない緑色だった。
もし、コンビニで買ったおにぎりが緑色だったら、僕は迷わず捨てただろう。
しかし僕はその十円玉を捨てずに財布にいれた。
「お金」というものは不思議なもので、
どんだけ汚くても古くても十円は十円だし、一万円は一万円である。
それはやっぱりあくまで、貨幣の価値が交換価値しか担っていないからである。
貨幣に使用価値みたいなのがついてきてしまったら
(持っていると肩こりがなおる百円玉みたいな)、
みんな使い古されたものや汚いものよりも、
きれいで新しい貨幣を欲しくなってしまい、
おなじ百円玉に価値の差がついてしまう。
なるほどなあ、「お金」とはよく考えられたシステムだなあ、
と感心する一方で、これこそ自然の摂理に
まっこうから対立したシステムだなあとも思う。
「お金」は言ってみれば、不老不死。
「お金」は不老不死だからこそ、みんな必死で増やそうとしたり、
必要以上に貯め込もうとしたりするんだろうと思うのです。
永遠に価値が減じない、永遠の若さがそこにはある。
昭和35年の十円玉も、平成23年の十円玉も、十円は十円。
「お金」を欲しがる心理というのは、
たんに豊かさを求めているだけではなく、
「永遠」を求める心理に近いものがあるのだと思う。
でも永遠なんてないんですよね。
人は必ず年をとるし、会社だって倒産するし、天変地異だって起こる。
鴨さんも、言っている。
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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、
人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、
昔ありし家はまれなり。
あるいは去年焼けて今年作れり。
あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、
二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つことなし。
「方丈記」 鴨長明
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お金だけが不自然!
てことで、思ったのだが、
お金に有効期限を設けてみるってのはどうだろう。
5年か10年か30年かは分からないけど、
使わないと価値を消失しちゃう貨幣。
腐るお金。
必要以上に貯め込むことには意味はなくなるし、
使うべきときに使うべきところで使用される頻度が高まるんではないかしら。
マネーロンダリングのようなこともだいぶやりにくくなるだろうしね!
おかしなバブルもなくなるんじゃないでしょうか。
(こんなこと言ったら経済学やってる人に、笑われるんですかね。。。)
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こんにちは。
はじめまして、博報堂の富田克人と申します。
「いいパスは、走りつづける人のところに飛んでくる。」
というリクルートエージェントのコピーで、新人賞をいただきました。
ワザナカの宮保さんとは、
新人歓迎会で遅くまでワインを飲んでいた仲です。
さびしいのでメールアドレスも載せておきます。
KATSUHITO.TOMITA
@
hakuhodo.co.jp
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