リレーコラムについて

ちょっとだけ被災しました。

山上勇人

今回の震災で、自宅が断水。10日ほどですが、
水の出ない生活をしました。友人や親戚、いろんな人が
「大変でしょ。いつでも、うちにお風呂入りにおいで。」と
声をかけてくれました。ありがたいことです。

そんな中、8日目ぐらいの夜だったでしょうか、一人の友人が
我が家を訪ねてきました。いきなり電話がきて、
「いまからちょっとお邪魔していい?」とのことだったので
どうしたんだろう、とおもいつつ玄関で出迎えると
「はい、これ、炊き立てのご飯。」と笑って、差し出したのです。

ずっとレトルトやインスタントでしのいでいた、僕ら家族にとって
それは、本当に、本当に、久しぶりの「炊き立てのご飯」で
僕らは、何度も、何度も、お礼を言うと、友人は
ちょっと照れくさそうに笑いながら帰っていきました。

その日の深夜、書斎で震災対応の仕事をしながら、ついさっき
娘と妻と3人でむさぼるようにして食べた「炊き立てのご飯」のこと、そして
それを届けてくれた友人のことを何度も思いました。

電話やメールで暖かい言葉をかけてくれた友人たちには、
今でも感謝しています。これは、本当です。

でも一方で、本音を言えば、ガソリンもなかなか
手に入らない状況で、車を出して、その友人の家までいって
お風呂を貸してもらうのは、あのときの自分たちには
ハードルが高かった。これも本当なのです。

「いつでも、おいで。」と声をかけてくれた友人。
暖かいご飯を炊いて届けてくれた友人。

どちらも、善意と愛情に基づいてるけど、
そこから受けた感動には圧倒的な違いがあったといわざるを得なく、
(頂いた善意をこんな風に比べること自体が、激しく失礼なのはご勘弁を!)
震災対応の企画をかんがえながら
被災してない安全なエリアから投げかける善意のやさしいコトバは
本当に、被災者のココロに届くのだろうかと不安に感じたのです。

実は、ご飯を届けてくれた友人の家は、その日の2日前まで
僕の家と同じように、断水が続いていました。

水がでるようになって、ひさしぶりに、白い、ホカホカの
「炊き立てのご飯」を食べたのでしょう。ただのご飯が
どれほど感動的なものか、友人はわかっていたのです。

被災者の気持ちになって考えることの難しさ。
被災してみないと、なかなかわからないこと。

困っている人がたくさんいて、
目の前に解決すべき問題が山積みなときに
コトバという僕らの武器のもどかしさ。

僕の被災なんて、東北の方々がきいたら、怒りだすようなレベルでしたが
それでも、僕はその体験から、すごくいろんなことを教えてもらった気が、今しています。

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