リレーコラムについて

なぜ『タグライン』があるのか

新沢崇幸

欧米の広告には『タグライン』があって
それはブランド広告に密接に結びついている。
なんてことは誰でも知ってることであり、当然僕も知ってました。
でも、アメリカに来て仕事をしてみて、
なんでブランド広告があり、タグラインが必要なのか、が
はじめて感覚として分かった気がしたんです。

それはアメリカのスーパーに行って気づきました。
とにかく異常に広くてモノが多い。
土地だけはあるし、みんな車で来てドカ買いするから。
そこに、雑多な人種が買い物をしているわけです。
巨漢のメキシカンのおばちゃんもいれば、中国人留学生もいて、
ヒップホップな黒人もいれば、健康食品好きの白人もいる。
年収も、考え方も、言語までバラバラな人たちです。
そんな人たちに、自分の商品を買ってもらうためには
まず、商品名(ブランド名)を大声で叫ぶしかないわけです。
細かいディテールはさておき、自分の存在をアピールすることが第一。
アピールしなければ、スルーされる社会です。
というワケで、棚を見ると、同じブランドの商品が鬼のように並んでいます。

たとえばAという洗剤がある。その下には、漂白成分が強いやつとか、
柔軟剤入りのやつとか、オーガニックなやつとか、いっぱいあるんだけど
とにかくAというブランドを覚えてもらわないといけない。
その結果『とにかくAは優れた洗剤です』という
ブランド広告=ジャンル広告が成立して、
日本の僕らから見ると「えー、そんな単純な広告?うらやましいー」
という表現で、カンヌを穫っちゃったりするわけです。

アメリカでは、シンプルはグレートです。
それは、受け手がバラバラで、難しいことを言っても伝わらないから。
アメリカでエンターテイメントが優れているのも同じ理由で、
どんな人にも分かるように、ハッキリ、シンプルに表現することを
得意としているように感じます。だからハリウッド映画はわかりやすい。
ブランド広告も同様に、単純で、かつ力強いものがもとめられるわけです。
(そのぶん、浅薄で退屈なものも多いです。ハリウッド映画のように)

で、その単純な広告を成立させるのが『タグライン』です。
Aというのが「どういった」洗剤なのか、
ということを集約した、ブランドを規定するコトバです。
これを作ることが、何よりも大事な作業であり、
Chiatの人たちは、その『タグライン』を決めることに命をかけている。
そのためには、素晴らしい『マニフェスト』が必要で、
マニフェストを書いてプレゼンすることに、日夜、心血を注いでいるのです。
プレゼンビデオとか、すごいです。そのままオンエアできるぐらい。

ただ、ちょっと待てよ、と。
このweb2.0時代(古いか)にあって、スーパーの棚での選ばれかたに
ナンボの価値があるんじゃい、と。
所謂ロングテールの時代に、『ブランド』にどれだけ意味があるのか、と。

しかし、この『タグライン』というやつは、変わりゆくある日本広告作りにとって
これからすごくベンリなんじゃないか、と僕は感じました。

その続きは明日にします。

NO
年月日
名前
5689 2024.04.12 三島邦彦
5688 2024.04.11 三島邦彦 最近買った古い本
5687 2024.04.10 三島邦彦 「糸井重里と仲畑貴志のコピー展」のこと
5686 2024.04.09 三島邦彦 直史さんのこと
5685 2024.04.06 中村直史 追伸
  • 年  月から   年  月まで