リレーコラムについて

1989 下

神谷幸之助

 

1989年。初夏。

はじめてのヘッドハンティング。ワクワクしていた。
新橋の旭通信社で 渡辺博信制作局長と
サシでくわしく話をした。
入社前提で話は進んだ。条件面とかどうでもよかった。

その時、渡辺さんは再婚された直後で週末から
新しい奥様と「ワイハ(だったと思う)に新婚旅行に行くんだ♪」とルンルンだった。※1
タバコをプカプカ吸いながら。※2

「帰ってきてから、人事と会わせる。2週間くらいかな。それじゃあね」

それから2週間。
僕は 渡辺さんの声を待っていた。
しかし、渡辺さんから
2度と電話がかかってくることはなかった。

「新婚旅行先でお亡くなりになった」

専門クラスの仲間から連絡がきたのは
葬儀の何日か前だった。

誰も知らない転職の口約束を
誰にも話すことはなかった。

ただひとり
新婚早々未亡人になった奥様にお悔やみの手紙を書いた。
手紙の最後は確かこう書いた。

「先生にお礼を言う機会を永遠に失いました。
 ありがとうございました。」

 

※1:渡辺・竹内クラス(コピーライター養成講座専門コース)はお二人で担当された特別クラス。二人とも忙しい時はゲストが来た。「ルンルン買っておうちに帰ろう」を出版したばかりだったコピーライター時代の林真理子さんもそのひとり。課題のコピーを褒めてくださったからよく覚えている。

※2

渡辺さんはご自身の代表作の一本に「この一服がたまらない。」(日本たばこor専売公社だったかも)もあるくらいヘヴィースモーカーだった。コピーライター養成講座専門クラスがはけた後クラスをよくゴールデン街につれてってくれた。酒+タバコ+朝がた冷麺を食べ→マーライオン!→二日酔い→後悔の繰り返し。ときどきゴールデン街の夜を思い出す。いろんな意味で不安だった。けれどなんか明るい未来を探していたことは間違いない。

神谷幸之助の過去のコラム一覧

4864 2020.04.11 続 1984
4860 2020.04.10 1984 下
4859 2020.04.09 1984 上
4858 2020.04.08 1989 下
4857 2020.04.07 1989 上
NO
年月日
名前
5817 2024.12.13 伊藤みゆき 泣いたら負けだと思ってた
5816 2024.12.09 伊藤みゆき 2024年個人的ベストコピー
5815 2024.12.06 山田大輝 ジェノベーゼ
5814 2024.12.05 山田大輝 センサー
5813 2024.12.04 山田大輝 嬉野
  • 年  月から   年  月まで