リレーコラムについて

超個人的メッセージ

鶴田茂高

【Chapter 4  超個人的メッセージ】

彼らと仕事をするようになって、仕事を楽しみ方が変わった気がします。
それまでCFの仕事をするときは、どこか距離を感じていました。
特に実作業に入ると、自分の身の置き場がない感じがして…。
コピーライターならではの感覚かもしれませんが。

03年2月。撮影スタジオの一番奥でラストカットを見つめていました。
「ハイOK!」の声とともに鳴り響く拍手の中、
初めて現場で泣きそうな感動を覚えました。

その仕事はあるADの初監督作品でした。
「ムービーのディレクター、やってみますか?」の問いに
「あぁ、ぜひ」と勇気ある回答。
監督指名の話をプロデューサーに話すと、
当初はちょっと曇りがちの表情で「えぇ」と。
後から聞いた笑い話ですが
「ADごときにこなせる甘い仕事じゃないぞ」と立腹していたそうです。

企画は「商品と手のひらが魔法のような流麗な動きで絡み合う」。
実写かCGか。
通常ならば、監督が方針を打ち立てるところ、
ムービー初監督(言葉はわるいですが、ズブの素人)には
「わからない」という真摯な答。

実際、マジシャンの公演先へ訪ねて取材も行ないました。
その場では、手先の器用なマジシャンでも難しい動き。
人間の手で行なうには限界がある、商品はCGでと答を出しかけましたが、
「わからない」ながら流麗な動きのためには、
「実写がいい」という監督の想いを優先させました。

そこからが楽しい苦難のはじまりでした。
監督はもちろんプロデューサーも一緒になって制作のみなさんと
ちょっぴり染之助・染太郎のようなノリの簡易な装置を作り試行錯誤を重ねました。
(僕はあえて参加しないことも多かったのですが、何日も徹夜に近い日々が続いたようです)
CF用語さえチンプンカンプンだったADが日増しに監督の顔に変わりました。
また、そんな監督を支えたすべてのスタッフが
非常に高いモチベーションを持って臨んでいたように思えます。
「自分が何とかする」という。

撮影現場に並んだモーションコントロールのカメラと
6台のロボットアーム。
それに絡む、約2ヵ月間、毎日毎日練習を続けてくれたという
手タレさんの完璧な動き。
まるでユーミンのコンサートのメーキング映像のような世界。
しかし、緊張感はあるのに、誰もが楽しそう。
「こんなに素敵な現場にいたことがない」
まじでずっと撮影が続けばいいとさえ思いました。
(もちろん、撮影後の編集作業もタイトでハードなもので、
編集マンの方も、徹夜が続いたようですが、やはり楽しそうでした)

実際、その時も僕が何をするわけでもありませんでしたが、
はじめてちゃんとCFに関れた気がしてなりません。
「自分の仕事って何か」を教わりました。
職種とか立場とかどうでもよくて、
いいものをつくろうという気持ちがあれば
ひとつになれることを教わりました。

その素晴らしい仲間とは、その後もよく仕事を一緒にさせてもらっています。
心配性ですぐに揺らいじゃう僕を「大丈夫」と支えてくれます。
調子者で大失敗しちゃう僕を「ったく、しょうがねぇな」と慰めてくれます。
ときに大きく裏切っちゃう僕を「それでも、信じてますよ」と励ましてくれます。
大好きなあなたたちとずっとずっと楽しんでいきたいから、がんばります。
何をどうすればいいのか、答はまだ見つかっていませんけど。
でも、がんばります。
(がんばれないときは、また甘えさせてください)

これからも本当に本当によろしくお願いします。

すいません、本日は超個人的メッセージでした。

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