リレーコラムについて

表現と構造

尾上永晃

こんばんは。河西さんからご紹介に預かりました尾上です。今週担当させていただきます。
河西さんが忘れてしまっていた出会いは名古屋の大学で行われたCCN(6/4から会員募集中!)の審査。
せっかくだし探検しない?と休み時間に構内散策に誘っていただき、初対面の人間に対して道中延々と下ネタを繰り出し続けるエンターテイナーとしての姿勢に感動したのを覚えています。

今日は、大学つながりで「学ぶこと」について書かせていただきます。
特に最近新入社員向けに話したりするときに学び方の質問をうけることが多く、
そこで割と受け入れられている感のある考え方についてです(その他の話は無視されています)。

僕はインターンの講師を8年やって、メンターを4回やりました。
他にも社内で後輩との仕事や座学のようなものをやったりと、髭が生えているせいかそういう立場になりがちで色々と試してみた結果、別に絶対東大入れますみたいな確固たる手法はなくて、単にその人のやりたいことに寄りそうに尽きるなと思う次第です。

が、途中で気づいたのはその調子でやっていたら先達に敵わないのではないかということ。
広告批評の最終記念号(僕の入社翌月に廃刊)をパラパラめくりますとメンツが今も第一線でやっている方々とほぼ変わっていません。これを癒着だとか言うのは早計です。
シンプルに、でかいバッターボックスに立ってそこでホームランを打ってまた次のでかいバッターボックスへという恐ろしい修練を続けられているのです。
しかも本人の成長曲線と経済の伸長とメディアの規模はわりかし比例していて、ここから同じような勝負に出るのはハードです。
加えて、労働時間も減っていますから何かで補わないといけない。
それで、がむしゃらにやるのではなく、もう少し自分の特性を意識してやった方がいいのではと思い始めました。また、今は手段が無限にあるために自分は何に向いているのかという悩みも発生しがち。
もう少しフォーカスできないか。

そこで着目したのが、インターンでの生徒たちの伸び率です。
僕がみていたときは、アイデアコンペと授業を繰り返し行う方式で、生徒によって影響をうけた授業が違い伸び率も違う。
これは何かと考えたときに、大きく二つに本人の志向性が分かれるのではないかと思いました。

それが「表現と構造」です。

ざっくり言いますと、表現は表面の部分で構造は骨格の部分。
例えば、ミッキーマウス。喋るネズミが構造で、円形で構成された姿が表現となります。
いいアイデアという言葉がありますが、あれは大体の場合において構造の話をしています。
かっこいいとかかわいいとは表現の話です。
構造は言葉でシェアが可能で、受け手はそれを見たり聞いたりして理解できます。
表現は実物をみないとイメージができません。
構造は言語でシェアできるのでPRとかSNSでの話題作りといったものと相性がよいです。
話題になったなっていうものを思い出せば納得いただけると思います。
表現は感情のコントロールに影響します。好きになってもらうとかは構造では難しい。
言い換えると、構造は広さで表現は深さです。
このどっち寄りかが人によって違うのではないか。
能力を伸ばしたいと思ったときまずは強みに軸足を置いたほうが、効果が早く出やすいのではないか。

自分がどっち寄りかは、例えば映画をみたあとに分かります。
どんでん返しがすごかったとか展開に興奮したら構造寄りで、表情や音楽やシーンに泣いたとか口伝しづらいものに興奮したら表現寄りです。
ちなみに海外のアワードのフィルム以外。たとえばアクティーベーションで興奮しがちな方は、ほぼ構造で仕事を評価しているのではないでしょうか。僕もそうです。
といった感じで自分がどっち寄りかがわかったら、それぞれの伸ばし方があります。

構造よりの人は、さまざまな事例や事象の骨格を意識して覚えておくと使える道具が増えます。
あれがああやったらこうなった。くらいの覚え方でいいんじゃないかと思います。
あんまり丁寧に図とかにしてると、それで満足して本末転倒がちかも。まあ、好きな方法で。
ちなみに事例だけじゃなくて、事象も入れたのは、手法がなんでもありな中で事例だけだと狭いし被るので、まったく関係なさげなどこかの商店街でサンマを焼いたら人がいっぱい来たみたいな構造を広告に持ち込んだ方が異化されて効果が出やすいからです。
自分の例で言いますと、ピノのアーモンドという商品が出た時にクライアントに文春砲を打ちました。文春砲は事象として形式化しているから使えるのではと眺めていたためです。

表現よりの人は、これまたよく言われてますがとにかく良い表現とされているものをいっぱい見て表現のストックを増やすのが鉄板です。
表現は感情のコントロールを司るので、知っていれば知っているほど色々なシチュエーションに対応できるためです。「あの感じ」と言えるものが多い方がチーム作業が齟齬なく進めますし、異化されやすい。それも近しい時代や場所だけでなく、世界中の古今東西を知っていた方が有利な気がします。まあこれは構造も同じですね。
あとはやっぱり自分で手を動かして絵を描いたりカメラをまわしたりといったことをやるのも表現の理解のために大事だと思います。
言語化できない領域の豊かさはやってみるほどに深く感じがちなので。僕は絵を書くごとに未熟さを感じリスペクトが生まれ興味が生まれるというサイクルで生きています。絵がうまくなりたい。

さて、各々が各々の得意を伸ばして、これでよかろう。

となるかというとそうでもありません。広告づくりはチームプレイなのでコミュニケーションが必須。
そのとき完全に構造だったり表現に偏りすぎていると会話が成り立たないのです。コミュニケーションの土台はお互いの言語ルールの理解だったりします。
なので軸足は明確にしつつ、違うものに興味を持ち学ぶことはやっぱり必要です。
その上で、自分は構造7で表現3くらいだから、構造3で表現7の人と組むとバランスがいいだろうとか意識しながらやると良いチームになりやすいのではないでしょうか。

この成長のイメージは螺旋状に昇っていく感じです。
というのも、キャリアがある人だとどうやら表現に軸足がありそうだけど、構造も半端ないなんてことが多々あり、器自体が大きいと割合が小さい方でも圧倒的だったりするためです。ちなみにCDという職能を長くやっている人は構造に寄っていく気がします。構造は説明ができるのでビジネス上習得する必要があるためです。

ここにさらに、メジャー志向やマイナー志向といった嗜好性の軸もあったりするので、
チームを組まれる際には、自分は構造のマイナー、であらば表現のメジャーの人と組もうなどとやると割とうまくいくことも多いのではないかと思います。

TCCコラムで書くことか。って感じもしますが、言葉の置き所が既存メディアだけでない昨今において、そもそもの置き方(構造)自体が企画になっているということも増えているので関係あるはずだということで書いてみました。
ちょっと前にリラックマとカオルさんというネットフリックスの仕事で電車ジャックをして、広告が人を「〜〜すべき」に縛り付けて苦しめてるのではないかという空間を作りました。
普段だったら脱毛広告がある場所に「脱毛しましょう」といったメッセージを出すというものです。あれも構造から考えました。
「〜〜すべき」に縛られているカオルさんという主人公と同じ気持ちになってもらうには、同じくターゲットもリアルにそれを感じてもらうには。と考えた時に、広告枠という決められた構造の中の表現ではどうしてもシェアされたり響くイメージが持てず、一歩ひいたメタな視点でみることで構造自体に問題があるんだと思ったという流れです。広告ってわかると伝わらないという話がよく言われますが、あれも表現の問題以上に構造の問題だったりします。
もちろん表現も大事で、下手したらすごく怖い空間になるので圧が弱すぎず強すぎずといった調整は部屋にグラフィックを貼ったりして検証しました。結論、両方大事!

こういう指針とか分け方は人ごとに持ってたりすると思うので、あくまでもご参考程度で楽しんでもらえれば幸いです。

あんまりこういう場所で人が書くことを信じすぎない方がいい…。

そう思う人がいたら、僕と同じく構造寄りの人です。

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