リレーコラムについて

新しいは、あらたしい

諸橋秀明

”新”という漢字がある。

それは訓読みでは「あたらしい」となる。(当たり前だ)
一方で人名では「あらた」となる。(当たり前だ)
でも気づきました?
「た」と「ら」の位置が入れ替わってるんです。

「あたらしい」という単語はコピーで何回も使っているのに。
「あらた」さんという人は周りに何人かいるのに。
先日ラジオで取り上げられるまで
自慢ではないが私はこの事実にまったく気づいていなかった。

そう、私には観察眼がないのだ。

観察眼。
目の前に明白に存在する
些細な異常を見逃さない目。

たとえば、クソが尻から出るものだとすれば、
目尻と目頭は位置が逆だと指摘できる目みたいなこと。

そして私の経験上、ADには観察眼を持っている人が多い気がする。
デッサンなどを通して、モノや事象を見つめ、
徹底的に形や意味を把握する訓練をしているからだと思う。

だからADにコピーを見せるのは嫌なのだ。
自分では気づかけなかった文脈や論理の粗を指摘されるから。

「諸橋さんってメールの誤字脱字多くないですか(苦笑)?」
と後輩ADに指摘され、情けない気持ちになりながら
そんなことを思ったのでした。

NO
年月日
名前
5861 2025.02.14 山中康司 次女と救急車をはしごした出来事からの小考察
5860 2025.02.13 山中康司 SHOGUNからの小考察
5859 2025.02.12 山中康司 歴史ストラテジーゲームからの小考察
5858 2025.02.10 山中康司 時間に関する小考察
5857 2025.02.07 大塚久雄 もひとつ突然だが、
  • 年  月から   年  月まで