リレーコラムについて

言葉オブザイヤー@ヘラルボニー

長谷川輝波

言葉オブザイヤー、第三弾です。

 

みなさん、ヘラルボニーという企業はご存じでしょうか。

 

重度の知的障害のあるアーティストと契約をし、
その方々のアートをさまざまな企業にライセンス販売をしたり、
プロダクトや原画として販売をしているスタートアップ企業です。

 

「異彩を放て。」をミッションに、
知的障害のある人が持つ想像力や作家性を活かしたアートを発信しています。

 

社長をはじめ、さまざまな部署の社員さんと会話をする中で、
気づくことがたくさんある。

 

「ヘラルボニーでは『障がい』ではなく『障害』という表現をルール化しています。」

 

一番はじめにお仕事をさせていただいた時に、
広報を担当する社員さんからそう伝えられた。

 

行政を中心に「害」という漢字の持つネガティブなイメージから、
「障がい」と表現することが推奨されるようになった。

 

しかしヘラルボニーでは、その表現はあえてしていない。
「障害」は、その人自身の身体や心理的なものではなく、社会側に存在する障壁のことである。
そう問題提起をするためにも、あえて漢字を用いているという。

 

その話を聞いたその日から、
私の中の「障害」という言葉が持つイメージは180度変わった。

 

わたしにも、重度の知的障害のある同い年のいとこがいます。
幼少期から一緒に過ごす時間が長く、知的障害や身体障害に対して、何の抵抗もなかった。

 

小学生の頃から手話通訳の資格を取ったり、
卒業アルバムの将来の夢には「盲導犬の訓練士」と書くような子供だった。
「障害のある人を助けたい」という想いばかりが強くなっていった。

 

大人になっても、その想いは変わらず、
障害のある人は自分にとって「助けなければならない」存在だった。

 

そんな時に、ヘラルボニーのある言葉に出会いました。

 

「“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。」

 

ヘラルボニーのサイトや記事などに、度々登場する言葉です。

 

知的障害のある作家さんの多くは、私たちの想像を超えるような異彩を持っています。
自由な発想や色づかい、作品制作への強烈なこだわりで、エネルギーに満ちた作品を完成させます。
そんな異彩に対するリスペクトを感じる言葉です。

 

この言葉を聞いたときに、私はひどく反省しました。
これまでいとこに抱いていた感情も、障害のある人に持っていたイメージも。

 

知的障害を「欠落」ではなく「可能性」と捉える。
30年間見ていた景色が、少し変わった感覚があった。

 

来週のコラムのバトンは、
未熟な私にコピーをたくさん教えてくださった、
諸橋秀明さんにお渡しさせていただきます。

 

今新人賞受賞作の一つである「有明アリーナ」のコピーも、
諸橋さんが何日もかけてたくさんのアドバイスをくださいました。

 

諸橋さん、どうぞよろしくお願いいたします!

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