リレーコラムについて

元AKB

内山奈月

「TCC年鑑の新人賞のコメント、
何書いたらいいのか悩んでやばいです…」

新人賞のお祝いをしてくださった
1個上のTCCの先輩、河内さんと話したとき、

「リレーコラムの方がやばいよ!
来週お願いします!っていきなり回ってくるから」

と、チラッと聞いてはいたのですが…

本当に急に回ってくるんですね!笑


服部さんから受け取ったバトン。
新人賞の同期が、4人連続でつながっている…。
これはきっとTCCの洗礼……!?

ということで気合い入れて、
今週を担当させていただきます……!!!!



初めまして!
今年の新人賞をいただきました、内山奈月です。

ハッピーアワーズ博報堂という会社で、
コピーライターをしております。


突然ですがわたしには、
2018年に博報堂に入社して以来、
誰かに紹介してもらう場面で
決まってつく枕詞があります。

それは、“元AKB”。

「こちら、新人の内山さん。元AKB!」
「彼女、元AKBなんですよ〜」
「元AKBなんだって、おもしろくない?」

…そうなんです。

わたし、高校生から約4年間、
AKB48というグループでアイドルをしていました。
総選挙では2万票入れてもらって39位にランクインし、
今でもカラオケに行けばAKBの曲は大体踊れます。

マイナーメンバーではあったものの、けっこう真剣に活動していました。


でも入社してからは、
どこに行っても“元AKB”と紹介されるものだから
「端くれだったんですけど…!」
「おもしろいのはわたしじゃなくて、秋元先生です…。」
って、正直、気まずい気持ちでいっぱいでした。

研修中の飲み会で
「元AKBって、もっと賑やかな感じかと思ってた」って言われたときは、
自分の地味な性格にちょっと悩んだりもしました…。

(いま思えば、わたし自身が採用面接の自己PRで、
堂々とAKB時代の話をしていたので
この扱われ方が当然なのですが…)

クリエイティブ局に配属されたときの自己紹介では、
「元AKBって言われなくなるように、がんばります」
と、謎に尖った自己紹介をしてしまったのを覚えています。


しかし、そんなふうに尖っていられたのも束の間…。
コピーライターという職業さえ知らなかったわたし。
何案コピーを書いても、何案企画を出しても、
全く採用してもらえない修行の日々がはじまります。

「ふつうだね…」
「1個もなかったね…」
打ち合わせのたび、
先輩から苦いコメントばかりもらう毎日…。


次第に、名刺にある
“コピーライター”という肩書きがどんどん重くなってきて。
“元AKB”って紹介されている方がよっぽど気楽!!
とまで思うようになりました…。


それから3年くらい経った頃でしょうか。
変化は、急に訪れました。

BOVA(ブレーンオンラインビデオコンテスト)で
初めて賞をいただいたあとのランチ会。
いつもの先輩がわたしのことを、こう紹介したんです。

「内山さん。今年のBOVAグランプリ!」

え〜!“元AKB”じゃないんだ!!
そこの紹介って、変わっていくんだ!!

とても驚いてうれしい反面、
なんか変にハードルが上がってしまった…
と感じたのを覚えています。

そして同時に、これまで先輩は
わたしを少しでも印象に残すために
“元AKB”と紹介してくれていたことにも気づきました。


アイドル戦国時代で、まがいなりにも4年戦ったわたしには
「まずは印象に残らなきゃ精神」が刷り込まれております。

それ以来、ちょっと前向きになって
“元AKB”という経歴も
使ったもん勝ちなのでは!?と思うようになりました。

例えば、このTCCのリレーコラムのバトンを受け取った
記念すべき第一回目でも…!!!


読んでくださった方に、どうか少しでもわたしのことを
覚えていただけますように…!


最近ではありがたいことに、
「今年新人賞をとった内山」と
紹介していただくようになりました。

憧れていた分だけ、その重さも感じており、
正直、毎日心臓バクバクです…。

でも憧れの先輩方も通ってきた道。

この気持ちを大切に、“元AKB”という経歴に頼りすぎず、
今週もがんばっていきたいと思います。


5日間、よろしくお願いします!
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