マグマくん(仮)
空耳ならぬ、空目。
広辞苑はおろか、古語辞典にも載っている正しい日本語だ。
私は、もう何十年間も、ある看板の空目に悩まされている。
それは、「おこと教室」だ。
当然、和楽器のお琴を習う場所なのだろうが、私は何回見ても「おとこ教室」と空目してしまう。
扉を開けると、土間からすぐに、畳がビシーっと敷かれた広間あって。
逆光の中、三島由紀夫みたいな人が、ふんどし姿で腕を組んで座っている姿が目に浮かび、なんかモヤモヤとしてしまう。
「こんな住宅地に、三島由紀夫のおとこ教室…いやいや、おことの教室だってば!」と毎回自分に言い聞かせている。
なぜ、「お琴」と書かないのだ?
そもそも、その教室から琴の音が鳴ってるのを、一度も聞いたことがない。
むしろ「呼吸の乱れは心の乱れ」と師範が長い深呼吸しているかのような静けさ。だから、私の空目がいつまも治らない。
空目に限らず、漢字や単語の読み間違いっていうのは指摘されるまで気づかないものだ。
皆さんにもいくつかそんな経験はあるでしょうとも。
私は、ある後輩コピーライターの大間違だけは、鮮明に覚えている。
曰く、
「ツキノワグマを、ツキノマグマだと思っていました」
なんだよマグマって。と。げらげら笑った後に、
いったい、どういう思考回路でそこに辿り着き、慶應大学を卒業して、社会人になるまで疑いを持たなかったのかを検証したくなった。
どうやら、熊の一種であることはわかっていたらしい。
マグマは、「真鯛」や「マダコ」のように、「真熊」だと思っていたらしい。
むしろ、「亜流ではない本格的な熊」と考えていたらしい。
確かに、マグマでいったん切ってしまうと、そこからはなかなか離れられない。
ツキノについては、土地の名前、どこかは知らないが「月野地域」に生息するという意味で捉えていたらしい。
イリオモテヤマネコや秋田犬、アメリカバイソンといったところか。
「月の輪」の方が、言われてみれば特殊だ。見た目の特徴に由来しているから、個体を見てないと頭に入ってこない。
なるほど、理屈は通っている。
そして、日常の会話の中で、ツキノワグマを、ツキノマグマと発音したとしても、
その会話を止めてまで、「ん?今、なんと言った?』とはならずにこれたのだと思う。だって、慶應だから。
ちなみに、このマグマくんは、クリエーティブ試験を一位で通過してやってきた逸材だった。
しばらくは、生来の、高い愛され能力でやり通してきたのだが、
3年くらい経って、企画をまとめる段になって、PCに打ち込んだ言葉が思い通りに漢字に変換されない事案が頻発して、
ようやく自分の語彙を根本から怪しんだようだ。
今は独立して、広告に関わる会社の、かなり偉いポジションを立派にをやっていらっしゃる。
コピーは、一切書いていないそうだ。
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