リレーコラムについて

キャラの不思議

木村透

「カエルとサソリの寓話」というものがあって、

けっこう有名なので知っている人も多いと思うが、

僕が最初に誰かに聞いた(あるいはどこかで読んだ)時は、

こんな話だった。

 

大きな川のほとりに住んでいるカエルのところに

サソリがやって来て、

「泳げないので、僕を背中に乗せて向こう岸まで運んでくれないか」と言う。

カエルが「きみは僕を刺すつもりだろう。だから嫌だ」と断ると、

「きみを刺したら、僕まで一緒に沈んで死んでしまう。

そんなことをするはずがないじゃないか」と答える。

確かにそれもそうだと思ったカエルは、サソリの頼みを承諾し、

彼を背中に乗せて泳ぎ始める。

川の真ん中まで来た時、カエルは背中に激しい痛みを感じる。

意識が遠ざかる中で、カエルはサソリに尋ねる。

「どうして刺したんだ。きみも一緒に死んでしまうのに」

川底に沈んでいきながら、サソリは最期にこう答える。

「どうにもしかたがないんだ。それが僕のキャラクターだから。」

 

僕はこの最期のサソリのセリフがとても好きで、

ここに書くために確認しようとネットで調べてみたら、

やはりこの話は思ったより有名で

いくつかの映画でも扱われているらしく、多くの記事が見つかった。

ところがどれも、サソリの最期のセリフが

「それが僕の性(さが)だから」になっているのだ。

この寓話の最初の出どころがどこかは不明だが、

とりあえず英語では“my nature”となっているらしいので、

「性(さが)」のほうが正しいのだろう。

 

だが、サソリの最期のセリフはやっぱり

「それが僕のキャラクターだから」であってほしい。

今っぽく言うと、「それが僕のキャラだから。」

そのほうがおかしみがあるし、なにより「キャラクター」

というものの不思議さを突いている気がする。

アニメや広告のキャラクターたちも、

自分の意志や利益を度外視して、決められたキャラに従っているのだなあ

などと思ったりする。もちろん我々人間も。

 

ところで、僕は今CMに登場しているキャラクターの中で

最も得体がしれないのは「スーモ」だと思うのだが、どうでしょうか。

あのマリモの化け物みたいなものが、15年近く愛され続けているのはすごい。

 

というわけで、来週はスーモの生みの親であり、育ての親でもある

横澤宏一郎くんにバトンタッチします。

ぜひお楽しみに!

 

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