リレーコラムについて

【2024春】今年のFCCはリアル開催です。

和久田昌裕

「残念ながら、ひっぱりでした」

米村拓也、通称よねやんは元々熊本の高速道路のとあるサービスエリアで働いていた。本人曰く、うどんの湯切りやお土産の選定・管理をしていたとかで、お土産のブランドやメーカーなどに異常に詳しい。一緒に行った鹿児島ロケで土産屋に立ち寄って、会社へのお土産を選んでいると「それ、ひっぱりだからやめておいた方がいいですよ」という。よねやん、ひっぱりって何?と聞くと、その業界の隠語で、博多でいうところの通りもんやめんべい、熊本でいう陣太鼓、武者返しなど名の知られた、ようするにブランドお土産に対して「〇〇に行ってきました饅頭」みたいな、〇〇を変えればどこでも成立すようなものが、通称”ひっぱり”

利益率の低い(=原価率が高い)ブランド土産に対して、利益率が高く設定できるひっぱりは、ブランド土産と抱き合わせで売れることも多く、それを売ることでサービスエリアは利益を確保するのだという。へーへーへー。まるでオスとメスを見分けるひよこ鑑定士のように「あ、これはひっぱりです。これもひっぱり、これは大丈夫、本物です」と次々とお土産を仕分けしていくよねやん。撮影スタッフと面白がって笑っていると、ちょっと調子に乗ったんだろう。僕に「そういえば、この前黄金館にお邪魔したじゃないですか」と言ってきた。その年か前年に結婚したよねやんは、わざわざ結納に、当時まだ営業していた僕の実家の旅館を使ってくれたのだ。

「前職の癖でどうしても見ちゃうんですけど、黄金館のお土産、全部ひっぱりでした」

旅館の女将として頑張っている実家の母を思い出し崩れ落ちる僕と、大笑いするスタッフ。尤もこの話を実家に帰ってすると母も大笑いであったが。そんなお土産マイスターであるよねやんは、どこかで手に取ったFCC年鑑がきっかけで広告業界に興味を持ち、宣伝会議のコピー講座を3度も受講。縁あって弊社に、中途採用という形で入社したのが今からおよそ10年前。同じ熊本出身ということもあり、よねやんが入社してすぐに仲良くなり、いろんな仕事を一緒にした。

よねやんもイッセー同様に、バキバキにルックスにステータスを振ったイケメンである。電通九州の綾野剛と言われているとかいないとかで、おまけにダンスも踊れる。何度かタイのアドフェストに一緒に行き、ゴーゴーバーでモテようと浴衣を着てパタヤのウォーキングストリートを闊歩する小賢しい和久田と違い、地元のストリートダンサーに堂々とブレイキンで勝負を挑む。僕も面白いので「やっておしまい、ザーボンさん」とフリーザのような気分でよねやんをけしかけ、よねやんはギャラリーを背負って勝つ。それが気持ちよくて、そのあと海沿いのバーでシンハービールで乾杯をする。ちなみに浴衣を着た和久田は、タイのおかまにだけはモテて、というか実家の旅館浴衣に興味深々のようで、私の衣装と交換しない?と言われたがその時彼女(彼)が着ていたのは花魁衣装である。さすがに南国のビーチリゾートで、ホテルまで花魁道中をする度胸は僕にはないので丁重に断った。

そんなこんなで仕事もプライベートも一緒に楽しく過ごしていたよねやんもまた、わくわくポイントの高取得者であり67ポイントを保持している。てるてるより社歴も付き合いも長いのにポイントが低いのは、ポイント制度の設立がまだ日が浅いからなのと、彼もまた山田と同様、子ども二人の父親という真っ当な家庭人だからである。そのよねやんが2022年のコロナ禍真っただ中にやった仕事がこちら。

彼が入社して数年間、いろんな仕事をやった。特にその頃から増えつつあった行政関連の仕事では多くでタッグを組み、熊本のトマトをPRするためにトマト畑ごと東京へ持っていく通称”トマトラ”という企画では、トラックの助手席に座り現在地をTwitterでリアルタイムに発信し続ける「中の人」を、佐賀県の県産品のPRを行う架空の藩”あさご藩”という企画では、そのルックスの良さを活かして主演のはなわさんをしょっ引く目付け役や、その弟ナイツ塙さんの演じる殿様の小姓役など3役をやってもらい(松竹衣装の方が一番の衣装持ちは米村さんですよと笑ってた)、熊本地震の復興プロモーションでは水前寺清子さんの365歩のマーチの熊本版の歌詞を書いてもらったりした。つまり僕の仕事の多くを支えてくれた。しかしそれには弊害もあり、どんなに良いクラフトワークをよねやんがやっても、会社的にはCDである僕の仕事だとまず思われてしまう。実際に企画の骨子やプレゼンに勝つためのロジックづくり、ディレクションは僕がやっていたので、いずれよねやんが経験を積んで、自分の存在感を強い仕事で示すしかない。それにはもちろん時間もかかるし運も必要。だがそのジレンマは彼の中でも経験を積むほどに大きくなっていった。

言い合いが増えた。「雑用ばかり僕にやらせて、わくさんラクしすぎじゃないですか!」「じゃあ代わりにお前が企画書書いてプレゼンして勝ってみろよ!」みたいなことをスゴロクで酔った勢いでぶつけ合った夜もある。ウォーキングストリートで明け方にバカ話しながらシンハーを飲んでいた頃とは全く違う空気感が流れていた。そしてそれは、今思えば必要なプロセスだったんだと思う。ある夜、よねやんが言った。

「一度、FCCを退会しようと思います。憧れだったけど。いつか最高賞を獲って特別審査員になって、わくさんと一緒に審査するのが夢だったけど、それは会員じゃなくても目指せるので」

佐賀競馬の50周年記念事業「うまてなし」は、彼の実家が馬牧場でお父さんが元々荒尾競馬という地方競馬場の職員だった、言ってみればよねやんの源泉のような仕事。郷土愛をベースにする仕事が強くなるのは、僕自身も体験しているのでよく分かる。それに何度も一緒にやった行政の仕事でもある。もちろん僕は全く関わっていないし、あえて見ないようにしていた節もあった。その仕事が、昨年の春に行われたFCCの審査会の会場で、審査員である僕の目の前に並んでいた。

既にFCC賞の受賞は決定している。その中からグランプリである最高賞をどれにするか。僕は制作にはノータッチであるので「うまてなし」を複数選べる最高賞候補の一つとして推しても構わない。個人的にも大好きな仕事だ。しかし僕と米村の関係性をみんな知っている状態で他の作品と並べてこの作品の応援演説を行うことが、果たして自分にできるか。ようするに逃げてしまったのだ。もちろん純粋にコピーの賞として見た場合、その時点でより最高賞に相応しいものがあるようにも思い、別のものをいくつか選んでコメントをした。

潮目が変わったのはゲスト審査員として東京から来ていただいた博報堂ケトルの皆川さんが、最終投票に移る前に突然「やっぱうまてなし、いいよね」みたいにコメントをした瞬間。審査員の中の空気が明らかに変わったように思う。FCCの副代表である僕がテーマを考え、代表である天才コピーライター永野さんがコピーにした審査基準「発明してる?」というテーマに則った素晴らしい作品であると。まさに最終コーナーを回って直線になったところで見せた見事な末脚。こうして「うまてなし」は年度代表馬、ではなくFCC2023の最高賞を獲得した。

審査会が終わり、審査にわざわざ浴衣で参加するという誰も喜ばない所業に、わざわざVSQさんが用意してくれた控室に入り、オンライン審査会を見ていたであろうよねやんに電話をかける。よねやんが電話に出た瞬間、何も声を発していない状態で、お互いが泣いていることに気づき「おめでとう」と一言振り絞り、声をあげて二人で泣いた。控室があって本当に良かった。浴衣半脱げの40代半ばのおじさんの号泣姿なんて見られたもんじゃない。自分が受賞するより嬉しいって本当にあったんだ。

その日の夜はもちろん審査会の打ち上げ。本日の主役、よねやんは自宅から遅れて駆け付け、みんなから祝福の声をかけられて嬉しそうに乾杯を繰り返す。そんなよねやんをスマホで撮影する僕は、やっぱり泣いていてみんなが大笑いしながら撮影してくるその泣き顔は福岡の広告業界であっという間に拡散し、福岡の泣いた赤鬼と言われているとかいないとか(もちろん言われていません)。僕はたぶん、その日のお酒の味を一生忘れないと思う。タイのビーチで飲んだシンハービールをようやく超えることができた。

外見だけではなく内面も最高のよねやんは、社内スタッフからも声をかけられやすい存在だったんだと思う。「CDの和久田にいうとなんかめんどくさいことを言い返してくる」と思っている営業からは特に。それは彼の才能だし僕には無いもの。でもその気安さや声のかけやすさみたいなものが邪魔をすることはけっこうある。しかしよねやんは自らの力で、自分をブランド化することに成功した。君はもうひっぱりじゃない。

というわけで、散々ここまで話も引っ張ってしまったわけですが、ここからは告知(今日の本題)です。

そんな悲喜こもごものドラマが起こる福岡コピーライターズクラブのFCC賞2024の応募要項が発表されました。

コロナ禍を機に3年続いたオンライン審査会から、会場を福岡アジア美術館に移して、完全リアル開催で行われます(3年間会場提供およびオンライン配信をしてくれた、福岡の誇るプロダクションVSQのみなさま、ありがとうございました。今年も一部お世話になります)。オンラインだからちょっと気を遣ってた忖度コメントは一切なし。そして会場はみんな大好き、中洲にあります。昼から夜まで楽しめます。

そして昨年の最高賞、米村拓也氏に加え、電通九州の卒業生であり今や日本を代表する天才CMプランナー・村田俊平氏をゲスト審査員に迎えるという楽しみしかない審査会です。是非みなさまのこの一年の「発明」を、福岡で見せびらかしちゃってください。

詳しくは応募要項をご一読ください。

http://blog.fcc1959.com/category/960195-1.html

はー、長かった。これにて今回のコラムはおしまいです。土曜日までお付き合いいただきありがとうございました。

と思ったのですが、次のバトンを渡さなきゃでした。

僕の2023年に起きた大きな変化として、新しい上司が汐留からやってきました。

1998年入会の小山田彰男さんです。ちょうど一年前の一月から僕の直属の上司になったのですが、一年も付き合うことなく生粋の変人であることはすぐに分かりました。昨日も面談中に「和久田さんの失敗談を聞くのが、何よりも楽しいんだよねー」とか平気で言ってくるサイコパスです。そんな小山田さんは98年の入会なのに、一度もコラムを書いていません。こういう人がいるから、僕に何回も回ってくるのです。ものすごく渋る小山田さんを説き伏せるのはものすごく大変でしたが、しぶしぶながらも引き受けてくれたので、頼みましたよ小山田さん。

ちなみに僕は東京から来た小山田さんのことをみんなに知ってもらおうと、会社のフロアの壁に小山田さんの日頃の名言(迷言)を写真に添えたポスターを作って貼り、小山田ポスター展として一部の社員にドハマりしています。よねやんがいうには「これ、シリーズでまとめて出せばFCC獲れますよ!」だそうです。

みんなばかばっか。

10ポイント!!!

NO
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