リレーコラムについて

⑤チイさん

後藤誠一

CM を作りたい。

 

番組制作が多いプロダクションにいた僕は、

CMメインのプロダクションに転職しました。

 

さあ、今度こそCMを。

そう息巻いていた僕に待っていたのは、

九州の家庭をタレントさんと一緒に回る、というミニ番組の演出でした。

 

また番組か。

また九州をまわるのか。

 

おもてには出しませんでしたが

内心は完全にふてくされていました。

 

当時、30歳前くらいだった僕は、

どうせやるなら同世代の、

笑いの感覚を共有できるタレントと

組みたい、と傲慢にも思っていました。

 

例えば全盛期の「めちゃイケ」のような

「全部わかってて敢えてやる茶番」。

ちょっと意地の悪い感じの。

 

ところが出演が決定したタレントは、

当時、還暦間近の地井武男さんでした。

 

(地井さんは「北の国から」「ちい散歩」、

映画「犬神家の一族」などで活躍した俳優です)

 

地井さんは「素でいい人」でした。

 

カメラが回っている時とそうでない時の差が全くない。

ロケ場所に入ると出演者やスタッフみんなに声をかけ、現場をあたためる。

出演してくれた一般の家族にプレゼントしたい、と自分で絵付けした湯のみを持参する。

ロケ終わりは望んで毎回スタッフと食事する。

焼酎に梅干しを入れて飲み、決まって

「君たちはいつもこんなに美味いものを食べているのか?」と

おっしゃる。

 

ある時は、こう言われました。

「君は面白い感覚をもってるから、東京に出てこないか?よかったらウチの家に住んでもいい。」

 

ですが僕は聞く耳を持てないくらいに

不遜で不満で、バカでした。

 

 

そんなある日、

こういうことがありました。

 

番組は、素人夫婦に探偵役の地井さんが聞き込みをする、という設定。

その回は地井さんが結婚式の写真を発見し、

夫婦の仲の良さをいじるようなくだりがありました。

 

段取りが終わり、ライティングの待ち時間。

いつもはシュート前も夫婦に話しかけ、緊張を緩めてくれた地井さんが、

なぜかその日は押し黙っています。

 

どうしたんだろう?

 

確認がてら地井さんに近づいた次の瞬間、

僕は逆さまになっていました。

投げ飛ばされたのです。

 

地井さんはよく、そういうじゃれ合い方をしてくれていたので、

スタッフは「またか」という感じで笑って作業を続けています。

 

でも、僕にはわかりました。

 

これはじゃれ合いじゃない。

 

 

 

地井さんの奥さんが数日前に亡くなったことを、撮影後に知りました。

 

マネージャーさんが撮影を延期しようとしたら地井さんは断ったそうです。

 

これはオレの冠番組だから、と。

 

 

「北の国から2002遺言」の撮影が始まったのはその数ヶ月後でした

 

地井さんが、妻のガンの再発を告白し、号泣するシーンがあります。

 

台本にはセリフの途中から涙を流す、と書かれていたそうですが

 

ドラマの地井さんは、シーンの最初から涙と鼻水でグシャグシャでした。

 

 

 

地井さん、

 

お言葉に甘えて東京に行くことはありませんでしたが、

今は福岡でCMを作っています。

 

毎回九州まで来てくれていたあなたにぼくはいつも

「長旅お疲れ様でした」の挨拶さえできませんでした。

それどころか、お悔やみの言葉一つ言えませんでした。

 

すみません。

 

すみませんでした。

 

心を開いてくれていた地井さんに、

演出の僕が心を閉じていました。

 

今の僕なら、もっと腹を割って話せます。

そして食事の席でこう言います。

 

「地井さん、九州で焼酎を飲むのなら、

梅干しはNGですよ。」

 

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次週のコラムは同じく福岡のコピーライター、

近藤成亀さん。

本数が多い撮影の演出で僕がテンパっている時、

近藤さんはサラッと100本のコピーを書いてくれた上に

撮影まで手伝ってくれる。

笑顔の時しか見たことがない。

そういう方です。

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