リレーコラムについて

2007年春

岩田純平

こんにちは。
電通の岩田です。

電通で5本の指に入る
コピーライターです。

というのも、
電通には5人くらいしか
コピーライターがいないからです。

コピーライターになって
3年も経つと、
みんなCMプランナーになります。

誰もボディコピー書いてくれません。

電通では
ボディコピーを書きたくない人は
CMプランナーに、
シズル撮影に行きたいくない人は
コピーライターになるのです。

いや、
言い切ると本気で問題にする人が
いそうなので訂正しますが、
ボディコピーを書きたくない人は多いです。

というか、
すべてコラム上の演出です。
フィクションです。
信じないでください。

いろいろなことを
おもんぱかりながら書いています。
大人になりました。

思えば、
12年前に
このコラムを
初めて書いた時は、
誰の目も気にせず
書いていました。

というか、
こんなもの
誰も読んでないと
思っていました。

まあ冷静に考えて、
養命酒という会社で
養命酒のコピーしか書いていない
若造のコラムなど
読むはずがありません。

今週はローテーションの谷間だな、
とみんなが思うことでしょう。

僕だって読者の立場なら
そう思います。

なので気楽に書いてました。

でも暇だから一生懸命書いてました。

どうせ誰も読んでないだろうから、
偶然読んでしまった人には、
爪痕を残してやろうと。

でも、このコラム、
意外と見ている人が多いのです。

コピーライター業界は特に多く、
12年前のコラムで
ちょっとした下ネタを
書いたところ、

ものすごくパンクな
反社会的な人として
僕を想像していた人も
いらっしゃいました。

あと、アーカイブとして
ずっと残っているので、
名前で検索されて
読まれてしまうという
ケースもあります。

保育園の先生なども
親の名前で検索して
人となりを調べたりするようです・・。

そんな中、
親が精子の話など書いていたら
やっぱり印象よくないな、
と思ったり、

今ではその精子が
立派な子どもになったんだなあ、
と感慨深かったりするわけですが、
とにかく、
12年前のように
無茶できなくなったのは事実です。

話がそれてますが、
僕は電通にはあまりいないタイプの
コピーライターです。

というか、
電通のコピーライターが
やらなければいけないことが
できないコピーライターでした。

強引に軌道修正しましたが、
話は昨日の続きです。

缶コーヒーRootsの
競合の話をいただいた時、
僕はまだ電通に来て2ヶ月半。

それまで養命酒という会社で
養命酒の新聞広告ばかりつくっていた僕は、
競合はおろか、
プレゼンさえしたことがありませんでした。

さらに言えば、
養命酒時代はコピー、レイアウト、イラストまで
全部自分一人でやっていたため、
チームで仕事をすることさえ
ほぼ初めてというありさまです。

コピーライターとして
チームに入ったものの、
本当に何を考えればいいのかわからない
32才の夏でした。

そうこうしている内に、
全体戦略を考える山田さん
(後に岩田が電通三大お世話になった人の一人になられます)
から
「世の中の閉塞感を打破する前向きな缶コーヒー」
という戦略の骨子が提示され、
岩田くんはそれに基づいた
「核となるコピー」を考えたまえ、
という段取りになりました。

そうです。
この「核となるコピー」、
要するにキャンペーンスローガンですが、
これを考えることが
電通のコピーライターの
一番の仕事なのです。

この「核となるコピー」
がしっかりしていると
提案もしやすいですし、
キャンペーンがしっかりする。

キャンペーンの
骨格となる部分です。

でも、当時の僕は
そういったコピーに
興味がありませんでした。

興味がない、
というか、
善し悪しがわからない。

養命酒時代、
そんな類いのコピーを
書いたことがないのです。

養命酒はもう
商品名自体が
「核となるコピー」
みたいなものでしたから。

そんな僕に
「核となるコピー」など
書ける訳がありません。

いくつか書いて
打ち合わせに持っていっても、
みんな「で?」みたいな表情です。

そんな日々が続き、
悩んだ末、
僕は開き直りました。

「できないことをしても仕方がない。
僕は僕のできることをしよう」

僕は、
キャンペーンスローガンは書けませんが、
人の感情の機微とか
日々の実感みたいな小さなコピーなら、
いくらでも書けると思っていました。

養命酒の頃は
それだけで飯を食っていましたから。
(本当はデスクに座っていることでお金をもらっていた。前回参照)

もう、
とりあえずそっちの方を書いてしまえ。

そう思ったのです。

・・・・・・・・・キリトリ・・・・・・・・・・

それにしても
「小さなコピー」
という言葉、
どうにかならないものですかね。

「あるある」「共感」「自虐」
なども同じカテゴリーなのですが、
こういう悪意のあるネーミングで
くくられることで、
なんだか選んじゃいけないような
空気になったりしませんか?

広告、というか商品は
パーソナルなものが多いので、
その商品の価値を
共感できる言葉にしてあげるのは
有効な手法であるはずなのですが、
2014年現在のトレンドとしては、
「小さい」
という言葉で片付けられがちです。

電通では
よくコピーの話になると
「大きなことを言おう」
という話になるのですが、

大きな言葉=ざっくりした当たり前の価値観

になりがちです。

コピーはしょせんモノを売る言葉。
大きなこという必要があるんかいな、
と思うのですが、

ただ、最近は、
「大きな言葉」
というものを、

商品の価値を
社会的に大きな価値を持つように
言い換えてあげる、

と考えることで、
自分にも考えられないことはない
ような気がしています。

岩田も少しずつ成長しています。

・・・・・・・・・キリトリ・・・・・・・・・・

「悪くなくても、結局自分が謝って終わる」
「会社に着くまでにいい言い訳が思いつきますように」
「空気を読んでいたら、ただの無口な人になっていた」
「正直に言えば、本当に怒らないのかな」
「フォローしたら、ムッとされた」
「なぜ、いま、それを言う?」
「あー、その子じゃないなあ」

最初は現実逃避で
書きはじめたコピーでした。

ストレス解消と
言っても
いいかもしれません。

でも、
書いているうちに
気づきました。

これらのコピーと
商品を結ぶコピーは
当然必要なわけで、
その中で一番しっくりくるのを
「核となるコピー」
にすればいいじゃないか。

順番としては逆になるけれど、
そう考えれば僕にも書ける。

毎日の生活で
サラリーマンが感じている
小さな閉塞感と受けのコピーを
セットにしたものを、
書けるだけ書いて
打ち合わせに持って行きました。

50本くらいでしょうか。

最初は限りなく苦笑に近い、
小さな笑いが起きました。

でも、
数を重ねるうちに、
それが大きな笑いへと
変わっていきます。

この人はこういう
コピーを書く人だったのね。

そんな安堵感にも似た空気が
会議室に漂いました。

僕はこういうコピーを、
とにかくたくさん書きたい。

そのなんだか良くわからないけど、
圧倒的で青臭い熱意は
チームのみんなを動かしました。

このコピーは
使い方しだいでもっと面白くなる、
そんなアイデアがどんどん出てきます。

電車、駅、自動販売機など、
掲出場所に応じた、
その場その場の閉塞感をコピーにしよう。

きめ細やかなコミュニケーションで、
一番身近なブランドになろう。

世の中の閉塞感を伴う場所をすべて、
広告媒体にしてしまおう。

それからは
掲出場所に応じたコピーを
書きまくりました。

たとえば、
駅ごとのご当地コピー。

調べて書いているうちに、
行ったことのない駅のことまで、
やたらと詳しくなりました。

wikipediaさまさまです。

ポスターを何バージョンつくるかについては、
「コスト面から30種類ぐらい?」
「いやいや、その倍は欲しい!」
と議論していた時、

クライアントの部長さんがおっしゃった
「どこの駅に行っても貼ってあるから面白いんじゃないの?」

この一言で、
300種類を超えることになりました。

2007年の春でした。

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