リレーコラムについて

美しい空、美しい月。

正樂地咲

7月29日。
可動域角度「上下ほぼ0度」。
リハビリ病院に転院した初日の左足首関節のこと。

関節には可動域というものがあり、つま先を90度にした状態から、
上向きに20度、下向きに45度ほどの角度で動かすことができると
スムーズな歩行が目ざせるという。

90度に固定したまま1ヶ月。
包帯を外したら、足首からつま先までが紫色のひと塊。
足の甲と足首が腫れていて境目がわからない。
焼き芋やんか、と思った。
そしてこれは神経の損傷の影響。
下半身の左側あちこちがビリビリしている。

リハビリは1回約1時間を1日に2回。
私はこちらの病院で2ヶ月お世話になったので、
計120回ほど取り組んだ計算になる。

「こちらベッドに寝転んでください。」
そう案内された部屋は、美空ひばりが爆音で流れていた。
患者さんの平均年齢はおそらく80歳ほど。
机とテレビがある憩いのスペースの角にあるベッドで
本格的なリハビリが始まった。
リハビリの先生は容赦なく、私の足の裏を表をゴリゴリ。
激痛。涙があふれ、んーー!と声も出るが
美空ひばりの「お祭りマンボ」がそれをかき消しにかかる。
何が、ソーレソレソレお祭りだー!やねん。

そこからの2週間、ずっとゴリゴリ揉みほぐし期。
痛い!というから痛いのかもと思い、
痛くない!と言ってみたけれど痛かった。
何が、人はかわいい〜かわいいものですね〜やねん。

この頃、トイレ事情もシビアであった。
痺れが原因で尿意が分かりづらい。不安から何度もトイレへ。
その度に車椅子に乗って、廊下を移動することになる。
みんなが使うトイレ。夜中になれば便座が汚れていることもある。
あらかじめ流せるタイプのお尻拭きを持参、
キレイにしてから使うことを覚える。使った後もキレイにする。
神経の痺れが、出し終わったかどうかの判断を邪魔してくる。
勘を研ぎ澄ます。神経がダメでも、勘で補うことを覚える。

8月13日、座った状態から両足で立つことができた。
補助具は終日つけたまま。歩行器が与えられ院内の廊下を歩く。
それは体重の1/3が左脚にかかるということらしい。1/3荷重という。
1歩ずつ歩くたび、左脚だけ体重計に乗せオーバーしていないかチェクされる。
1/3の感覚をつかむよう言われるが、無茶やなと思うも、次第に慣れる。

8月18日、両松葉杖開始。1/2荷重。
8月20日、片松葉杖開始。2/3荷重。
8月25日、ノーマル杖
8月27日、杖なし歩行。全荷重。

杖なし歩行とはいえ、体を上下左右に大きく揺らしながら、
ゆっくりのスピードで10m歩いては休憩が現実。
このあたりから漠とした不安に潰されそうになる。

一方、入院生活も2ヶ月が過ぎ、病院ライフには少し慣れ始める。
ある日、院内で見つけたトースターにより、QOLが爆上がり。
朝ごはんとして出してもらう食パンに、
親や親戚、親友からの差し入れのハム、ゆで卵、チーズ、のり、マヨネーズ、あんこ
などの具材をのせた日替わりトースト。豊かな食生活を獲得。

今はもう、歩行と食事と排泄のみに全集中。
そう決めると、徐々に気持ちが落ち着いた。
歩く、食べる、それを外に出す。
その尊さを疎かにしない。

9月8日、スーパームーン。
この日も夜の深い時間、トイレへ向かって薄暗く長い廊下を歩いていた。
そう車椅子ではもうない。
足もとに気をつけながら、一歩一歩、慎重に。
ふと、少し先の方の窓から黄色の眩い光が差し込むのが見えた。
どこにいても等しく月は楽しめる。
いそいそと近づき、顔をそちらの方へやる。
ラブホの看板のネオンがきらめいていた。
きらめいていたのだ。

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