リレーコラムについて

あのひとのこと②

坂本和加

「佐々木宏」

 

 

 

「佐々木さん、おめでとうございます〜!」

先日受賞式で2025年のホールオブフェイム、佐々木さんにかなり久しぶりにお会いしました。

 

福里さんが「佐々木さんはデザインする。おしゃれ」と力説されていて。

初めて気づきました。「ほんとだ」と思いました。知らなかったです。

 

パーティで、せっかくなのでリレーコラムに

「そうだ佐々木さんのこと書いていいですか?」と伝えたら、

「見る」というのでメールしたのですが・・・なしのつぶて。涙

 

まあいいか。

 

さて。私は、一倉時代に

何度か佐々木さんの打ち合わせに参加する僥倖に恵まれました。

 

打ち合わせのメンバーは

福里さん、澤本さん、権八さん・・・

時代の寵児なプランナー陣たちが、全員いっる!

みたいな打ち合わせです。あと一倉さんに副田さん。

 

キラキラ系クリエイターに比べて

コピーライターってなんてお地味なんでしょうか。

 

終始何も言えなかったのは、超一流の圧なのか全員クセ強すぎだったのか。

いや。でも、その前に私の発言権もその機会もなかったか。

 

というくらい打ち合わせでは、

「ずーーーっと話してる!」のが佐々木さんでした。

 

話のスタートはだいたい「否定」です。「ぼくは嫌いです」からはじまる。

 

そのあと、「なんで嫌いか」という話を、

話しつづけて数時間後には、「あれ、なんか好きになってきたかも」と

なぜかまったく逆のことになっている。みたいなことが、いっぱいありました。

 

でもひとつひとつの話には、いちいち納得感がある。

なので私は、佐々木さんご自身がちゃんと納得して、

前に進みたいタイプなのだろうと理解していました。

一倉さんはいつも、「考えながら話してる」と言ってました。

考えて来たのではないという意味です。多忙すぎて。

 

その否定から始まる導入は、プレゼンでも言うらしいので、

そういうお作法、なのかもしれません。同席したことはありません。

 

なにはともあれ、当時の佐々木さんはとにかく忙しく、

一度も食事の席でご一緒することもなく、そのためか

なにかと噂話の事欠かない方でしたが。

 

私が本気で驚いたエピソードがありました。

 

ある案件のプレゼン後、結果を聞くべく

呼び出された一倉さんや副田さんたちと待っていると

「ほんとうに申し訳なかった、あの企画を通せなかった」と

深々と頭を下げられた。シッティングで土下座されていた。

 

そのときすごく、びっくり、したのです。

佐々木さんが謝ってる!ということに。

 

なかなかこう、正面切って手をついて謝るって

できないと思うんです。大の大人ですし。

 

でもそうじゃなかった。

 

それは、きっぱりと「謝罪」だった。

 

決まった給与が保証されないという点で

私たちフリーランスは「時間という命を削る」仕事です。

 

特に一倉さんはそう「断言」して言葉を書いていましたので。

私にとって、佐々木さんの謝罪は、この上なく男前に写ったのです。

 

いまだよく覚えています。

 

かっこいいけど謝るのに呼び出すんだ、

と一瞬だけ思ったのも覚えています。

 

「いいコピーライターになりたいなら、いいCDにつかなきゃだめ」。

 

私が事務所を辞めて

ドラフトの宮田さんとの仕事がはじまると伝えたとき

一倉さんがさらっと言ったことです。

 

「え、そうなの?」と驚いて。

 

「あ、そうか〜」としみじみと思い浮かべたのは、佐々木宏さんの顔でした。

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