リレーコラムについて

Ignorance is Grit. |知らぬは根性。

矢﨑剛史

前回は私の「語源狂い」について記したが、
実は、そんな風に好奇心のままにものを調べてしまうことを自重することもある。
今回は、そんな話だ。

 

コピーライターとは、つくづく生き様だと思った。

私が新人賞を受賞した2023年度のTCC賞一般部門。
TCCグランプリを受賞されたのは、TUGBOATの麻生哲朗さん。
受賞コピーは言わずと知れた、
日本マクドナルド「ビッグマック」の「俺たちまだまだ/ビッグマックなんて、ペロリだよ」。

同年審査委員長を務められたのは、
サントリー天然水「大自然よ、ぼくたちのピュアな部分になってくれ。」を手掛けられた太田恵美さんであった。

このお二方に、同年『青天の霹靂』の「お米を買って帰ろう。あ、袋はいいです。そのままで」で最高新人賞を受賞されたサン・アドの波間知良子さんを加え、TCC賞2023展のトークライブがアドミュージアム東京で開催された。

新型コロナはその年の5月に五類へと移行。マスクを外す抵抗感はとうになく、
私は十余年ぶりの転職を経験したばかりで、
すこし浮足立った気持ちで汐留の地下歩道をいそいそと歩いていたことを覚えている。

 

そのトークライブの中で、ビッグマックのコピーをどう思いついたのか。クライアントのオリエンにどう向き合っているのか、といった話題になったときだと思う。
一言一句正確ではないのだが、麻生さんが「解像度を上げすぎない」というお話をされていたのが、いまも印象に残っている。

クライアントのオリエンを聞きながら、大切な部分にふとフォーカスが合う瞬間がある。
逆説的だが、被写体に「フォーカスを合わせる」直前は、フォーカスが合っていない状態にいなければならない。
だから知りすぎない、調べすぎない…そういった趣旨のお話であったと記憶している。

 

私たちは多くの場合、知らないことを知ることは良いことだ、と素朴に考えている。
「私の長所は、知的好奇心があることです」みたいな自己PRもたくさん見たし、自分で書いたこともある。
「物知り」なことだって、子どもの頃からだいたいは褒めてもらって育っている(し、いまも育てている)のだから、当然と言えば当然だろう。

そんな中で、広告の仕事…
とくにコピーライターというのは、
存外「よく知らない」や「よくわからない」をありのまま大切にしなければならない仕事だ。

なにか物事の道理が「わかった」と思ってしまった瞬間、見落としてしまう違和感。
授業についていけなくなったように、世の中から置いてきぼりになる寂寥感…からの、不貞腐れた気分。
「生活者目線」の一言では片付けられない、それらのある実感。

極めて当たり前の真実として、私たちはある事柄を「知ってしまう」と「知らなかった」自分には逆立ちしても戻れない。

「忘却」というルートもあるにはあるが、それは自分の意志でコントロールできる手合のものではないし、たとえ忘却できたとしても、まっさらな白紙に戻るわけでもない。あくまでその経験につながる糸が途切れたというだけで、その接続が修復されれば記憶はまざまざと甦りもする。

たとえば、私は前職でけっこうな長さで金融系のクライアントを継続担当していたのだが、そのせいでNISAやiDeCoを消費者として「やっておいたほうがいいもの・やらないと損するもの」のようにどこかで決めてかかってしまって「なかなかNISAをはじめない・はじめられないひとの気持ち」から遠ざかってしまった実感があった。いまは数年その業種担当を離れているので割とフラットな感覚を取り戻してきている気がするが、ろくな金融リテラシーもなく投資なんて眉唾で通帳残高5桁くらいの金銭感覚にはもう戻るべくもない。

未開拓地や未踏峰を、足あとのつかないままに留めておくように。
自分が「知らないこと」を、注意深く「知らないまま」に管理しておくこと。
それはいわば「知らない」という生き方を(時には損をし誹りを受けるリスクもひっくるめて)、覚悟をもって貫くことでもある。

一方で、何も知らないままに机上で頭だけで考えたり、闇雲に書くだけではなかなか書けず、手を動かし足を使って見つけに行く必要もあるのがコピーライターの難しさでもある。

「よくご存知ですね」という褒め言葉は、ビジネスの世界でも、まるで学校の教室の延長線上にあるように、無邪気に、素朴に流通している。
実際、相手の事情を知悉していることが重宝がられる仕事はたくさんある。
でもそこで、笑顔で御礼を言われることを急がず、早めの落とし所を見つける誘惑に抗いながら、気難しい顔で「知らぬふり」をする。
そんな勇気ある誠意を身につけたい。

そう思いながら、画面の向こうにも届くよう多めに口角を上げてしまう日も、まだまだあるのだった。

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