リレーコラムについて

2014年 春

岩田泰河

2014年春。電通に入社した。
クリエイティブ配属で、
メンターは岡野草平さんだった。

岡野さんは、
僕に大きな紙袋をくれた。
中には過去CMが収録されたDVDが大量に入っていた。

「企画が終わった仕事に入っても、意味ないから」
と言って、ちゃんと企画段階から関われる、
僕の成長に役立つ仕事を選んでくれた。

最初はほとんど仕事がなかったので、
ACCやカンヌのDVDを毎日デスクで見続けて、
それに飽きるとアドミュージアムの自習室に通い、
ひたすらTCC年鑑漬けの日々を送った。

ある日、
澤本嘉光さんと岡野さんの仕事に呼んでいただき、
たくさんコピーを持っていった。

「えらい」
と澤本さんは言った。
「でも、なんかTCC年鑑読み過ぎた人のコピーみたい」
と岡野さんは言った。

その通りです。ずっと読んでたので。
と思って恥ずかしかった。

「岩田はコピーをもっと書いた方がいいんじゃない?」
と澤本さんが言った。

結果、その仕事でコピーを担当されていた
磯島拓矢さんと小山佳奈さんのチームに
入れていただくことになり、
偉大すぎる先輩たちのコピーを
目の当たりにすることになった。

僕のコピーはさぞつまんなかったと思うし、
なんならその差にショックを受けて
打ち合わせすればするほど、
案数も出せなくなり、クオリティも落ちた、
ような記憶があるけどもう覚えていない。

小山さん、
僕、あの時よりは少し上手くなりました。
小山さんのコピー、いつも見ています!
(小山さんだけ接点が消えてしまったので書きました)

「磯島さんってコピー上手すぎませんか」
と岡野さんに言ったら、
「電通で一番の人だからねえ」
と言われた。

磯島さんは罫線の入った原稿用紙に
太いサインペンでさらさらとコピーを書き、

ステートメントは
たいてい1枚のWordにまとめられており、
紙に出力するとなんだか
レイアウトまで美しく見えたのだった。

あれほど実績のある小山さんでも、
磯島さんのディレクションに対しては、
「そうですね」「なるほど」「すごい」
とメモをたくさんとっていて、
この仕事は何歳になっても勉強なんだな、
とぼんやり思った。

澤本さんは、
僕からすれば天上人のように思えた
磯島さんに対しても、

「たとえば〇〇とか」

「昔のあの〇〇の感じで」

「仮に〇〇ってドカンと言ってみる」

と提案をしていて、
それがコピーとはまた違うレイヤーの
説得力と視野の広さを感じさせ、
しかもおもしろいと思えて、
これがクエリエイティブディレクションか、
と思った。

岡野さんは、
そういう抽象的なレイヤーの
ディレクションに対しても、

「いったん形にしてみました」
と次の打ち合わせでは、
ちゃんとコンテを持ってきていて、

それは「いったん」というレベルではない、
むしろおもしろさが増した形のコンテで、
企画が完成され、世に出るまでを目撃した。

ますます、勉強しなきゃやばいと思った。

具体的に何かを学んだというよりは、
学ばなきゃ何もできないという感覚を
持てたことが大事だったのかなと、
今、
振り返って思う。

2年目に異動して、
有元沙矢香さんがメンターになった。

「コピーライターになりたいです」
と言ったところ、
「私にはコピー教えられないから」
と謙遜し、

その代わりにたくさんの
コピーライターの先輩に
僕を紹介してくださり、
いろんな仕事に入れてくれた。

僕は真面目な新人だったと
自分では思っていたのだが、
当時、金髪だったりして、

振り返ると、だいぶ
「エラそう」で「生意気」だったので、
そんな後輩をいろんな先輩に紹介するのは
けっこうめんどくさかったと思う。

有元さん、
本当にご迷惑をおかけしました。

同じ部署には、
有元さんのメンターである
岩田純平さんがいた。

岩田さん、有元さん、岩田、
の3人で打ち合わせすることがあって、
そこでもまた衝撃を受けた。

岩田純平さんは、
とにかくたくさんのコピーを
大きな字で紙に書いて並べる方で、

有元さんと僕の案を足した数よりも
はるかにたくさんのコピーを並べて、
それでも平気な顔をしていた。

毎日、毎日、
デスクで淡々とコピーを書きづづけ、
打ち合わせでは
まったく変わらぬ声のトーンで
コピーを出しつづけ、
一定のリズムで仕事を続ける岩田純平さんの姿に、

 

ド派手に目立つ生き方も広告業界っぽくていいのかもしれないけど、
自分はやっぱ地道にがんばんないといけないな。

 

と、
当時まったく売れていなかった僕は
なぜか励まされていた気がする。

賞をとったり、バズったりしても、
それだけでは足りない「実力」という要素が
コピーの世界にはあって、
それは誰に評価されるものでもない、
きっと絶対的に揺らがぬものであり、
身につけるにはやっぱり10年近くかかるものかもな、
という感覚を体で感じることができた。

これは今でも、そう思っている。

「岩田さんってコピー書きすぎじゃないですか」
と磯島さんに言ったら、
「すごいよねえ、僕は書けないほうだからなあ」
と言われた。

「磯島さんってコピーもメールも綺麗なんですよ」
と岩田さんに言ったら、
「やっぱり普段の生き方がコピーに出るのかなあ」
と言われた。

いろんなすごさがあるんだなあと思った。

打ち合わせのとき、
岩田純平さんは、よく有元さんに
「有元さんはどのコピーがいいと思う?」
と尋ねていた。

そして、

「泰河くん、
有元さんは目がいいから、
どのコピーがいいかは有元さんに選んでもらってね」

と、いつもおっしゃっていた。

でも、
「そんなことないですよ」と
謙遜しながら有元さんが選ぶコピーは
たしかにセンスがいいな、
と僕は思っていた(エラそう)。

その後、
CDとして大活躍される有元さんを見て、
やっぱ、目がいいんだな、
と僕は思った(生意気)。

コピーには、
書く力も大事だけど、
見る力も大事なのだ。

ことばがどうやって育ち、広がり、
企画がどう人の熱狂をつくっていくか。
そこまで見極めるのが、
コピーライターの仕事なのだと、
教えてもらった。

いろんなすごさがあるんだなあと思った。

 

===

 

一週間、不定期更新でしたが、
読んでいただきありがとうございました。

来週のバトンは、
岩田純平さんにお渡しします。

前に書かれていたコラムがとても好きで、
と思っていたらもう10年前だったので、
ぜひまた書いていただきたいと思いました。

 

よろしくお願いします!

岩田泰河の過去のコラム一覧

6014 2025.12.08 2014年 春
6013 2025.12.08 ことだま
6012 2025.12.08 打ち合わせ
6009 2025.12.04 にっこりあいさつ
6008 2025.12.03 得意とする
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6014 2025.12.08 岩田泰河 2014年 春
6013 2025.12.08 岩田泰河 ことだま
6012 2025.12.08 岩田泰河 打ち合わせ
6009 2025.12.04 岩田泰河 にっこりあいさつ
6008 2025.12.03 岩田泰河 得意とする
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