リレーコラムについて

人生

平田航聖

突然ですが、

8本。

この数字、なんだかわかりますか?

持ち寄り会議に持っていくべき、CM企画の本数?

 

いいえ、これは僕が今まで骨折した骨の数です。

いきなり物騒なことを言い出してすみません。

というのも、僕はしょっちゅう怪我をする子供で、

人生で7回骨折し、合計8本の骨を折ってきました。

前、卒業アルバムをめくったら、ほぼ松葉杖をついてました。

 

青春の大半を骨が折れている状態で過ごしてるので、人格形成に少なからず影響を及ぼしているのではないかと思い、今回は、骨折というターニングポイントを軸に、人生を振り返ろうと思います。

 

〜The First Break〜

平田航聖、8歳。

僕はバスケットボールの地域のクラブチームに通っていました。

コーチ(ずんぐりした20代後半の男。バスパンを尻の位置まで下げ、嫌な感じのアゴヒゲを生やし、練習中いつも携帯を触っている。) が、今日の練習内容を子どもたちに命じます。

「ドリブル、各自50回」

指示通りドリブル練習を始めようとしたその時でした。

拙いドリブルで床から弾き返ったボールが、僕の小さな指先に直撃しました。

 

ガッッ!!

 

次の瞬間、右の人差し指に、今まで感じたことのない強烈な痛みを感じました。

みるみるうちに腫れ上がり、青紫色に変色する指。

自分の指先の内部で今とんでもないことが起きていると直感した僕は、その指を必死で押さえながらコーチの元へと駆け寄りました。

「コーチ・・・!指が・・・!」

痛みで顔を歪ませながら必死で訴えかける僕。

コーチは、既に2倍ほどの太さに腫れ上がっている僕の指を、しばらくじっと見つめました。

そして、救急箱を引っ張り出してガサゴソとまさぐり、僕に差し出しました。

 

それは、1枚の絆創膏でした。

 

「よし。」

パンパンに腫れ上がる指先に、絆創膏をお気持ち程度にくるりと巻き、コーチは携帯電話をいじり始めました。

 

明らかな医療ミス。

さすがに小2の僕でもわかりました。

絆創膏がそんなに万能なものなら、医学はここまで発展していないはずだと。

その夜、練習から帰った僕の指を見た母は、激昂しました。

「あんたこれっ!骨折してるじゃないの!!」

「誰よ!!絆創膏なんて巻いたの!!」

すぐ近くの整形外科に連れていかれ、レントゲンを撮り、骨折が判明。

あっという間にギプスと包帯でぐるぐる巻きにされました。

絆創膏のポテンシャルを過信したコーチは、後日母から怒りのクレームを受け、その日以降練習で見ることはなくなりました。

 

それが、人生初の骨折。

ただ、それは序章に過ぎなかった・・・

ここからはダイジェストでお送りします。

 

〜2nd break〜

小学3年生:廊下を走る生徒に突き飛ばされ階段から転落。左手小指骨折。

〜3rd break〜

小学6年生:中学受験のストレスから勉強部屋の壁を自らパンチし、左手人差し指骨折。

〜4th break〜

中学1年生:友人と追いかけっこ中、机に強打し、左肋骨にヒビ。

〜5th break〜

中学2年生:シンプルにぶつけて、左足の小指を骨折。

〜6th break〜

中学3年生:球技大会で女子にいいところを見せようと無茶をして、右足首骨折。

 

見たことがありますか?人の骨折史を。

それにしても凄まじい経歴ですね。

毎年のように、結果を出し続けています。

こんな人材いったいどこで…?と転職CMの声が聞こえてきそうです。

 

そして、7本目と8本目の骨折は同時に起きます。

〜The last break〜

高校1年生の春、僕はバスケ部に入部しました。

超過酷な練習。スパルタな監督。そう噂には聞いています。

果たして自分についていけるのか。

いや・・・何を弱気になっている。

誰よりも練習して、絶対に試合に出てやる。

根性で負けてたら、誰にも勝てねェだろ・・・!

そんな熱い闘志をたぎらせて始まった、練習の1日目。

 

「右の人からパスされたボールを、左の人にパスする」という

最も初歩的な練習のさなか、僕の左足首が曲がってはいけない方向に曲がりました。

「があっ・・!」

倒れ込む僕のもとに、上級生や監督が駆け寄ってきます。

「あのすみません、骨折しました」

この頃の僕は骨折に慣れすぎていて、冷静に自己診断ができる域に達していました。

骨が折れているにしては冷静すぎるので、周囲の人からこいつ何大袈裟なこと言ってんだ?と思われました。

しかし自己診断通り、骨折。しかも今回は一度に2本の足首の骨が骨折していました。

後日、骨にボルトを埋め込む手術を決行。

全身麻酔から覚めると、目の前には医者と看護師がニコニコと笑いかけながら立っていました。

「おめでとう。手術は成功です。」

半年ほどで復帰できるとその医者は言ったのですが、半年経っても、1年経っても僕の足首は完治しませんでした。

そしていまだ、僕の足首は一定の角度以上全く曲がりません。

多分、あの手術は失敗してました。

あの医者の笑顔を、まだ僕は信じていません。

 

そんなこともあり、僕は高校バスケ部の前半を松葉杖で過ごし、復帰後もチームメイトとの差は埋められずに、試合に一度も出ることなく幕を閉じました。

試合に出ていないどころか、ボール拾いもモップがけもできず、コートの端にずっと松葉杖で立ってただけだったので、チームに一切貢献していないのですが、

僕は、もともと絵が得意だったことがあって、チームのグッズ制作係になりました。

初めてイラレを勉強して作ったTシャツは、なかなかいい出来で、チームメイトに喜ばれました。

それが嬉しかった僕は、大学ではついにバスケを辞めて、デザインの勉強を始めました。

そして、そこから広告やクリエイティブの世界に出会うことになるのです。

 

思えば、神様は骨折という手段で、ずっと僕に教えていたのかもしれません。

お前が進むべき道は、体を動かして走ったり跳ぶことじゃない。

頭で考えて、手でつくって、誰かを喜ばせることだと。

骨折にそういうメッセージ性があったのなら、骨折神にも感謝しなければなりません。

 

いかがでしたか?これが僕のBORN-BREAK-HISTORYです。

あとこれは信じてもらえないかもしれませんが、僕は少年時代、毎日牛乳を飲んでいました。

あの大量に摂取したカルシウムはどこへ消えていたんでしょうか。

むしろ牛乳を飲んでたから骨が折れるくらいで済んでいて、もし飲んでいなかったら今頃木っ端微塵になっていた説もあります。

長々と人生を語ってしまい、すみません。

読むのに骨が折れたかもしれませんね。骨折だけに。

それではまた次回お願いします。

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