リレーコラムについて

「キツさ」の起こり

岩崎裕介

 

 

今日は久々に、同職種の気が置けない友人たちと飲んでいた。

業界に点在する「キツい」事象や人の話題で、ひとしきりエキサイトしてしまった。

 

 

この業界において「キツさ」のバリエーションは多岐にわたる。

 

労働環境が「キツい」、作っているものが「キツい」、メールの文面が「キツい」、提示してくるスケジュールが「キツい」、立場の弱い者への当たりが「キツい」、試写での立ち振る舞いが「キツい」、SNSのアティチュードが「キツい」。誰かしら、何かしら、「キツい」、という現状。

 

もちろんその全ては主観だ。でもだからこそ、この業界では何らかの「キツさ」と無関係でいるのは難しい。自分も十中八九、誰かにとっての「キツい」人だ。

 

 

だから、個別具体的な「キツい」エピソードに管を巻いていても堂々巡りというか、ブーメランになる可能性大で、じゃあなんで人は「キツ」くなっちゃうんだっけ、ということについて考えたい。

 

 

産道を通った時点で「キツい」人など存在しない。なんらかの外的要因によって、「キツさ」は醸成される。

 

 

思うに、この業界で観測される「キツさ」の多くは、個々人の気持ちのありようというより、業界ならではの、いびつな人間関係に端を発するのではないか。

 

 

自分の思う「キツさ」は抑圧、去勢、自身の無さ、みたいな言葉に細分化できる。

この業界は関係者が多すぎて、不明瞭なことが多い。誰が何を望んでいるのか、何のためにやるのか謎なまま”とりあえず”ことが進んでいく。しかも、みんなあまり思っていることを言わない。挙句、発注→受注という冷徹な力関係だけが作用し、立場論が全てを支配する。でもみんな人なので、しんどさはある。その心中で生じるハレーションが、「キツさ」の原点なのでは。

 

 

成果物の新規性やクオリティよりも「どんなメーカー/タレントの仕事をやっている」というブランドに拘泥する「キツさ」や、作り手のお気持ち表明的な「キツさ」も、「なめんな」という威嚇、もしくは焦り、恐れから起こっているのかもしれないよ。だとしたら、これも対人関係が招く「キツさ」だ。

 

 

だから打開策としては「対話」じゃね、と思う。めっちゃ凡だけど。

胸を張って素朴に「こう思うのですが、どう思いますか」と意見を交わせられたらいいのに。

真摯に取り組めば意見は生まれるし、相手を信頼できれば意見は伝えられる。

そうして人間関係にノイズがなくなれば、クオリティを上げることだけに労力をあてられる。

そうすれば良いものができて、プレゼンスに意識を回さんでも成果物だけでみんな勝負できるようになる。

自然状態だ・・・

 

 

 

 

 

う・・・ねむい、明日ロケハンなのに。

というかここ数日の自分のコラムが一番「キツい」んだけど、それは大丈夫なのかしら

 

 

NO
年月日
名前
6095 2026.04.30 岩崎裕介 「キツさ」の起こり
6094 2026.04.29 岩崎裕介 ロケ中に絡んでくるおじさん
6093 2026.04.28 岩崎裕介 於喫煙室
6092 2026.04.27 岩崎裕介 「宣言」編
6091 2026.04.24 佐藤充 奇跡みたいなこと
  • 年  月から   年  月まで