ずくよ出ろ。
外国の人が「こもれび」に代わる自国語が無い、と言うように、
この方言に代わる標準語が無い、というものが私にはある。
「ずく」である。
出身である長野地方中心に、日常的に使われている言葉だ。
Googleでその意味を調べると、
「ただのやる気ではなく、面倒なことでも手間を惜しまずに動くエネルギーを指す」とある。
うーん、まあそうなんだが、なんだかピンと来ない。
私はずくを知らない人にずくをいつもこんなふうに説明している。
冬の寒い夜、夕飯も終わりこたつに肩まで入っている。
こたつの机の上のみかんを剥いて食べるために上半身を起こすことはできる。
しかしそのうちテレビが観たくなりリモコンを探すがこたつ机にはない。
こたつから少し離れた茶箪笥の上にリモコンがあるのを見つけ絶望する。
この距離だとこたつに入ったまま手を伸ばしてもリモコンには届かないからだ。
ずり這いで距離を稼いだところで茶箪笥までは高さがあり届かない。
そんなとき、出なさければいけないものが、「ずく」である。
ずくを出してリモコンを取らねばならない。
ずくを出して息も凍る茶の間に、せっかくこたつで温まった身をさらさねばならない。
(昭和の長野の茶の間では本当に息が白かった。大袈裟ではない)
それができない者は、「ずくなし」と呼ばれるのである。
思えば、私の人生はずくとの戦いであった。
保育園に行くために服のボタンをちゃんとしめることだって
朝のラジオ体操に行くことだって
受験だって美大の課題をやることだって仕事だって
キャラ弁をつくることだって、なんでも大量のずくを必要とした。
人類はみな、多かれ少なかれずくと戦っているのではないか。
みんなどうやってずくを出しているのだろう。
ずくを出すことに苦労がない人もいるだろう。
責任感からずくを出しまくり、疲れてしまった人もいるだろう。
私はというと、ほんの少しそこに「楽しい」という気持ちがあったから
やってこられた気がする。
これからもごまかしごまかし、ずくを出して日々を乗り切っていくしかない。
さてこのコラムも、ずくが限界です。
リレーバトンは、とても尊敬するアートディレクターであり
同僚でもある茗荷恭平さんにお渡しします。
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