リレーコラムについて

Etymolomania. |語源狂い。

矢﨑剛史

私はことばの「語源」を調べるのが好きである。

 

一体どういう由来でこのことばになったのか。
学生時代、文学部のフランス文学専修というところで色々と齧っていたせいもあるのだが、
日本語は、「表意文字」である漢字を多く使用しているため、ある程度一見して成り立ちがわかるものも多い。
そのため、気になって調べるものは、勢い表音文字を使用した外来語が多くなる。

 

「語源」のことを、英語では 「Etymology」というのだが、これはギリシア語で「(言葉の)本当の意味」を表す 「Etymon」 と、「-logy」、すなわち同じくギリシア語で「学問」「言葉」「議論」などを意味する「Logos」から派生した接尾辞が組み合わさってできた言葉だという。

 

ただのウンチクや雑学で終わることも多いのだが、ふだん何気なく使っている言葉であっても、その薄皮を一枚めくると「本当の意味」が現れることがあると思うとなかなか面白くはないだろうか?(そうでもない、という諸氏には申し訳ない)
時にはネーミングや、プレゼンのネタに使えることもあろう。しばしお付き合い願いたい。

 

多用すると滑稽だと揶揄されがちな「ビジネス横文字」…すなわち「プロジェクトのメンバーにアサインされたからにはリザルトにコミットすることにコンセンサスしてベストエフォートします」みたいな手合の文章。
ことばを生業にする人には蛇蝎のごとく嫌われがちだが、
これらの単語も「語源」を辿ってみると、なかなかに滋味深いものがあるのである。

 

たとえば「プロジェクト(project)」。
私は、けっこうこの単語の「Etymon」が好きなのだが、
この言葉は「前の方へ」を意味する接頭辞「pro-」と、「投げる」を意味するラテン語由来の言葉「ject」から成り立っている。
壁に映像を投影する「プロジェクター」も、同語源で「前に映像を投げかけるもの」という意味だ。

 

つまりプロジェクトとは、「前へ前へ」と物事を投げかけていくこと。
一時的に後退することはあれど、ラグビーのボールキャリーのごとく1プレーずつ着実に前方へとゲインしていくものが「プロジェクト」なのである。
そう思うと、CM制作におけるプロジェクトマネージャーというのは大変な仕事であり、我々への細やかな〆切のリマインドもすべては「プロジェクト」のため、ということになる。

 

「コンセンサス」も、会議で多用されるとなかなかに趣深い単語である。
「語源番付」があるなら、幕下くらいには位置してもよいのではないか。
「合意」で良いじゃないか、と誰もが感じるわけだが、さもありなん。
これはラテン語の「Consensus」という言葉に由来し(こういう -us とか -um という語尾で終わる単語は大抵ラテン語由来である)、「共に」を意味する「Con(m)」と「感じる」を意味する「Sentire」(意味 senseなどもここから転じている)からできているという。
つまり、この言葉の成り立ち自体が「合意」と同じなわけだが、ここまで一致する時は逆に日本語のほうを疑ってかかるほうがいい。
つまり、明治期に大量の西洋由来の語彙を受け入れることを迫られた際につくりだされた「和製漢語」の可能性である。
じつは私たちが当たり前に用いている日本語の語彙の多くは、外来語由来のものが数多くある。
こうして見ると、これらの横文字の多用というのは「原語主義」に立ち返っている可能性もあるので、一笑に付すわけにはいかないだろう。

 

私はこれらの用語が飛び交う際には、こうした語源を遡るのに忙しく、あっという間に会議が終了してしまうこともしばしばである。

 

さて、コピーライターの書くコラムの締め括りとしては、「コピーライター」の語源へと遡らずして本稿を終えるわけにはいかないだろう。
「writer」は「書く人」であるとして、「copy」とはどんな意味であるのか。
これは現代英語では「複製物」「印刷物」を指す単語で、比較的新しいアメリカ由来のコピーライターという職業の意味は、こうした複製される印刷物に掲載される文章を書く人ということになる。
コピーの「Etymon」を探るつもりが、なんだか肩透かしな結果になってしまった。
こういうドライな結論になることがあるのも「語源狂い」の醍醐味ではあるのだが。

 

かつて糸井重里さんが「ダーリンコラム」で「羅宇屋」という消えてしまった職業と「広告文案家(コピーライター)」について語った回のアーカイブを時おり読み返す(しかし、いま読むんじゃなかった…自分の駄文と比較して落ち込んでしまう…)のだが、すでに20年以上も前に

 

しかし、事実、「文案を書く」ってことが、
それだけを取りだして独立した仕事になるなんてケースは、
とても珍しいんだと思うんだよなぁ。
「文案」を「書く」ことで報酬を受け取る
ということになってるけれど、
実はそれまでに考えたり取材したり打ちあわせしたり、
そういう時間や、労力のほうが、ずっと多いし、
そっちで方向が見えてなかったら「文案」もできない。
となると、自分の仕事のほとんどの部分が、
「コピーライター」と呼びにくくなるんだよなぁ。

 

という思いを吐露されている。
幸いにしていまもコピーライターという職業はなくなっていないが、その定義はいまもゆらぎ、ひろがりつづけている。

そう思ってもう一度「copy」そのものの語源を引く。
すると、このことば自体の語源はラテン語の「copia」にあるらしい。
これは「豊富さ」や「多数」を意味し、ここから転じて「複製物」という意味が生じたようだ。
むしろ現代のコピーライターの語義は「豊富なものを扱うライター」ということにして、もう一度この語彙を受け容れ直してみてもいいのかもしれない。

 

それがたとえ、歴史的に正しい「Etymon」でなかったとしても。

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