これからも一緒に生きていこう。
私が運ばれたのは急救救命科。
そこで両親は「命を助けるための手術をします。」と告げられたそうだ。
これまでのような呼吸や排泄や独歩がまたかなうようになるのか、
それもどれもすべては命の先にある話。
私はこの数ヶ月、命のことばかりだった。
それはICU。
ここは命に向き合わざるを得なくなった人たちが集まる場所。
悪い夢を見てうなされたり、せん妄で声が出たり、咳がとまらなかったり、
夜中でも処置が必要で急に電気がつくことも、きっとこれまでの私なら、
迷惑だと、どうしたって少しは思ってしまうだろう。
ただこの時はただ、一緒にみんなで助かりたかった。
他の人の苦しみを感じると、少しでも楽になるよう祈った。
それは自身のための祈りでもあった。
それはリハビリ病院。
病室のベッドの上では、NHKの戦争特集を毎日見ていた。
2025年は、戦後80年。語り部は変われど、人の命が消えていく話ばかり。
戦争とはそういうもの。
もし私が当時の日本で、今回と同じような怪我を負ったなら、
まずもって呼吸困難で亡くなっていただろう。
万が一、助かったとしても、1ヶ月も骨を固定してもらい、
その後、丁寧にリハビリなどしてもらえるはずもない。
今日だって、左右の脚の長さを数ミリ単位で測ってもらった。
今の状況に感謝せねば。
けれど、待ってほしい。
事実、目の前の脚は動かない。腰は重い。肋骨は軋む。
どうしてこの状況を感謝できようか。
命は助かったかも知れない、でも、助かったからには
生きることになる。前とはちがうこの身体で。
消灯前。静かになった美空ひばりルーム。
片隅にあるリハビリ用の硬いベッドの上で自主練習をする。
ある日、これまでどうしたって動かなかった左足の小指が
ふるふると小刻みに震え出す。
脳の動けという信号を頑張って受け取ろうとしている。
なんて健気なんだ私の小指。がんばれ小指。
私は私の小指を応援する。
前とはちがうこの身体は、不便ではあるが、可愛げもある。
これからも一緒に生きていこう。
今も定期検診で、運ばれた病院へ行くことがある。
入院患者さんがベッドのままや、車椅子で移動する姿が目に入る。
待合室でも、ここにいる皆何かしら、身体にしんどさを抱えている。
全員うまいこと治りますようにという気持ちになる。
これまでの私になかったこと。
私は、もと大阪NO.1ラウンジ嬢だという80歳をこえた入院仲間の淑女に、
手相を見てもらった時、あんた100歳までいくわな、と言ってもらった。
あと60年は生きることになるらしい。でも人生の予想しすぎはいけない。
生きるということは、今、でしかない。
今はこのコラムを、ダラダラ寝転びながらパソコンで書いている。
アゴを乗せている枕が、どうも愛猫セティのうんちくさい。
私の留守中に枕におしりをこすり付けてくれたのだろう。
これもまた、生やな。
このリレーコラム。
バトンは、直川さんからいただきました。
直川さんからのバトンは、いい土のにおいがしました。
そして次はマイスイートラブ秦さん。
ちょいくさいバトンです。受け取ってくれますか。
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