リレーコラムについて

日本コピーライターズクラブ

鈴木拓磨

東京コピーライターズクラブは本当に東京のコピーライターズクラブなんだろうか。
ことし入会したばかりの僕にはまだよくわからない。
事務局は東京にある。会員の多くも東京で仕事をしている。でも、東京以外で仕事をしている会員だって大勢いる。いうまでもなく東京出身であるか否かは不問である。
コピー年鑑に掲載されている広告もまた、東京でつくられたものが多いだろう。でも、東京以外でつくられたものもたくさんあるし、東京では見ることのできなかったはずの広告も載っている。
東京といいつつ実はそんなに東京じゃない。というか、東京だけじゃない。東京を名乗り、東京の顔をして、ナチュラルに日本全国を巻き込んでくる感。まあそれは東京コピーライターズクラブがどうというよりも、東京がよくやることだよなあ、と札幌で暮らしている僕は思う。
とはいえ札幌だって、札幌と名乗りつつ北海道のことを当たり前のように巻き込んで語るときがあるから、規模は違えど似たようなものかもしれない。なにかの中心と認識されている場が持っている磁力のような目に見えないちから。

東京コピーライターズクラブの会員になったことで、東京のことを最近よく考えるようになった。そのときに思い浮かべるのは決まって、僕が1年だけ暮らしていたときの東京だ。
北海道の大学を卒業して東京の会社に就職した2004年。Suicaはもうあって、PASMOはまだなくて、パスネットの磁気カードを通してからSuicaをタッチして自動改札機を抜けていた。スマホはまだなくて、文庫本サイズの東京の地図を通勤鞄に放り込み、けれどケータイの乗換案内はもうあって超助かった。記録的な猛暑で、でもクールビズはまだ始まっていなくて、安物のスーツを汗で何着もだめにした。
目黒駅と権之助坂と行人坂。地下化される前の東急目黒線西小山駅から徒歩15分の2階建てアパートの1階。北海道の住宅にはない雨戸のある部屋。エアコンはあるのにストーブはない部屋。アパートから自転車で渋谷に行けることに驚きつつ、真冬でも自転車で移動できることに驚きつつ、北海道から会いに来てくれた恋人と一緒に自転車で買い物に行った碑文谷のダイエー。
僕がたった1年で最初の会社を辞めて北海道に帰ったのにはいくつもの理由があって今ではそのときの感情の記憶もだいぶ薄れてしまった。けれどひとつだけいえるのは、そのまま勤めていたら僕は北海道に帰ることはなかったし、そしたらコピーライターにはなっていなかったし、東京コピーライターズクラブに入ることもなかった。僕は東京を去ったから東京コピーライターズクラブに入ることができた。
ついこのまえ、たいへんお世話になった当時の上司と13年ぶりに会って話した。TCC新人賞のことを喜んでくれて、とても嬉しかった。そしてそのとき、僕のなかの東京のイメージをそろそろ更新してもいいんじゃないかなあと思ったのだった。

東京コピーライターズクラブ新入会員の鈴木拓磨です。はじめまして。石屋製菓さんの「恋人は置いていきます。」「恋人は置いてきました。」で、2018年TCC新人賞・審査委員長賞を頂戴しました。
T.C.Pという札幌の広告・イベント制作会社でコピーライターをやっています。札幌コピーライターズクラブ会員。
1週間よろしくお願いします。

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