リレーコラムについて

Secondo Piatto(第二の皿):「タタキアゲーゼ」

齋藤大樹

こんにちは。元シェフのコピーライター、齋藤大樹です。

本日はイタリア中部、トスカーナ州のフィレンツェからお届けします。

4本目となる今回は、イタリア料理のコースでいう「Secondo Piatto(第二の皿)」、つまりメインディッシュです。

ということで、私の社会人“第二フェーズ”――コピーライターになるまでの人生についてお話ししたいと思います。

よく「叩き上げ」と言われますが、その部分について触れていきます。

料理人を辞めた私は、次の仕事を模索していました。

それまで料理の道しか考えてこなかったため、
他にやりたいことが全く思い浮かびませんでした。

そこで、自分の人生を振り返り、
料理以外で何が好きだったか考えてみました。

小学生:クラスメイトを笑わせることに夢中になる
中学生:チェーンメール作りにハマり、日本語ラップを書き始め、B-BOY PARKに参加
高校時代:自作の脚本(もどき)で全校生徒の前でお笑いネタを披露
専門学校生:CDJを購入し、卒業アルバムの写真すべてにキャッチコピーをつける

ほほう、ほほう、
なんとなく「言葉を扱うこと」が好きだったのだと気づきました。

何の知識もなかった私は「なんかライターとかかっこいいなぁ〜」と思い、
とりあえず宣伝会議の編集ライター養成講座に通い始めました。

当たり前ですが、今の時代、ライティングをするには基本タイピングが必須。
それまで料理しかやってこなかった私は、ブラインドタッチすらできませんでした。

講座で文章を書く課題が出ても、私だけ手書きで提出する始末。
さすがにこりゃまずいと、出会い系サイトのデータ入力のアルバイトを見つけ、
ひたすらタイピングに励む日々が始まります。

編集ライター養成講座と、タイピングを鍛えるバイトに明け暮れる毎日。
たまに知り合いのトラットリアの立ち上げを手伝ったり、厨房のヘルプに入ることもありました。

そして編集ライター養成講座を修了する頃、私はライターになるべく就職活動を開始。

編集プロダクション、出版社、広告制作会社……
数多くの会社から、祈りを感じないお祈りメールをいただく中、
家族経営の怪しい広告制作会社が拾ってくれました。

学歴も経験もない私が入れる会社だったので、当然ほぼ漆黒寄りのブラック企業。
仕事内容もクリエイティブとは程遠いものでしたが、なんとか広告業界の片隅に入ることができました。

職種は、大型商業施設のチラシを作るディレクター。
“ら●ぽ●と”に入るテナント300〜500店舗を回って
「来月のチラシに載せる商品の情報を教えてください」と聞きまわり、
会社に戻ってチラシ用の情報をまとめる仕事です。

チラシ作りよりもテナント回りのほうが多かったので、どちらかというと肉体労働でした。
1年ほど勤めましたが、ブラック社長夫人と喧嘩してクビに。

その後、さらに輪をかけた究極のブラック企業に入社。
社長がとにかく怖かったのです。
(やたら怖い人に縁のある人生ですね)

離職者も続出し、引き継ぎもないまま仕事を任されてトラブルが頻発する日々。
私もトンズラをこくために社長に退職を申し出るもなかなか承諾されず、
最後は泣きながら土下座してようやく退職を許されました。

その際「次に街中で齋藤を見かけたら、社長に殴られても文句は言いません。」という
全く意味のわからない謎の念書を書かされ、母印まで押すはめに……。

皆さんが思っている以上に、異常な会社ってたくさんあるんですよね。
零細企業だと特にです。

お察しの通り、この頃の私は情熱だけはあるものの、
スキルや経験、知識が全く追いつかず、うまくいかないことばかりでした。

しかし、ここから人生が徐々に好転していくのです!

その後は、大手エネルギー企業や食品会社の会報誌やレシピブックといった
SPツールを制作する会社に編集ライターとして転職。
経営者や芸能人など、著名な方々を取材し文章を書くという貴重な経験をさせていただきました。

その後、「やっぱりキャッチコピーを書くのってかっこいいな〜、広告作るっていいな〜」という
軽い気持ちでコピーライターを目指して転職活動を開始。

またもや数十社に履歴書を送り、ことごとく祈りを感じないお祈りメールを頂戴しましたが、
「バウ広告事務所」というデザインに強い広告制作会社が拾ってくれました。
こうして私のコピーライター人生がようやく始まったのです。27歳です。

その後、パナソニックグループの広告制作会社
「クリエイターズグループMAC(旧ナショナル宣伝研究所)」に入社。

コピーの実力は会社のレベルに到底及びませんでしたが、
料理の知見と面接官の温情でなんとか入れていただきました。

調理家電のマス広告やSPツール制作を担当するも、
日に日に「テレビCMとか大きなキャンペーンとか作りたいな〜」という気持ちが強くなり、
広告代理店を目指すことに。

そして30歳になる直前、「グレイワールドワイド」にめでたく入社。

初めての広告代理店、初めての外資系、初めてのテレビCM、初めてのルー大柴語……と、
初めて尽くしの経験をたくさんさせていただきました。

背伸びして入った会社だったので、とにかく寝る間も惜しんで頑張りました。

3年ほど経験を積んだ頃、お誘いを受けてビーコンコミュニケーションズに移籍。
もうすぐ入社6年になります。

それまで1〜2年で転職を繰り返していた自分にとって、
一つの会社に6年も在籍するのは、TCC新人賞受賞に匹敵する快挙です。
(それだけビーコンは良い会社、ということです)

今、コピーライターになって11年が経ちました。
少し大げさですが、思えば遠くまで来たものです。

振り返ると20代の頃は失敗だらけ。
負けた数なら、誰にも負けない自信があります。

でも、がむしゃらにもがき続けるうちに、少しずつ何かが見えてきて、
やがて次のステージに辿り着く。私の人生はその繰り返しです。

今回は長々と書いてしまい恐縮ですが、
学歴も経験もないけれどコピーライターを目指している人。
広告代理店に行きたいけれど制作会社でくすぶっている人。

本コラムが、そんなかつての自分のような方に、
転職例の一つとして参考になれば幸いです。
(冒頭で言うべきですよね、すんません)

ということで、本日のコラム「タタキアゲーゼ」はこれでおしまいです。
今回もお付き合いいただきありがとうございました!

明日のコラムはいよいよ最終回「Dolce(デザート)」です。
イタリアで3番目に大きい湖、ロンバルディア州のコモ湖からお届けします。

それでは、また明日。
Ciao!

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