リレーコラムについて

Primo Piatto(第一の皿):「暴力をふんだんにきかせた、ナンテコッタな1年間」

齋藤大樹

こんにちは。元シェフのコピーライター、齋藤大樹です。

本日はエミリア=ロマーニャ州のボローニャからお届けします。
名物はみなさんきっと大好きなボロネーゼ。
世界最古の大学都市でもあります。

コラム3本目は、イタリア料理のコースでいう「Primo Piatto(第一の皿)」。
それにちなんで、私の社会人“第一フェーズ”――料理人時代について書きたいと思います。

調理師学校を卒業後、私は都内のリストランテに就職。
ガルマンジェ(前菜担当)の見習いとして、料理人人生がスタートしました。

調理場は、さながら戦場。
特に当時の飲食業界は、鉄拳制裁の文化が色濃く残り、
お店によっては毎日がパワハラのオンパレード。

私が働いていたリストランテも例に漏れず、
何かあるたびに上司や先輩に殴られたり蹴られたりしていました。
(良くも悪くも軍隊ノリで可愛がってくれる人が結構おりました)

時にはレードル(お玉)など調理器具が飛んでくることもあり、
営業中の厨房内はバトルロワイヤル状態。
油断も隙もあったものではありません。

とりわけ怖かったのは、厨房の一切を取り仕切っていた強面シェフ。
山賊のような野蛮な人柄なのに、なぜか作る料理は繊細。

実に不思議なものです。生意気だった私はその山賊シェフに蹴られそうになったとき、
避ける仕草をすると「避けてるんじゃねえ!」と詰められ……。

頭を叩かれそうになったときに
フェイントをかけて避けようとしたら
「フェイントかけてるんじゃねえ!」と詰められ……。

とにかく、色々詰められました。
ストレスで白髪がめちゃくちゃ増えました。

口より先に手が出る人ばかりの中、私はとにかく口が出るタイプだったため、
口答えするたび、よくゲンコツを食らっていたものです(料理だけに)。

でも当時はそれが普通でしたし、そういう業界だと覚悟していたので、
苦しいときはあったもののあまり辞めたいとは思いませんでした。
今なら3秒で辞めますけどね。
(イタリア料理漫画『バンビ〜ノ!』では、こうした暴力の描写が見受けられます)

それでも刺激的で順調(?)な日々を過ごし、修行1年ほどが経過したある日。
ついに凄惨な事件が起きてしまいました。

その名も「プロシュート事件(2009年)」

あれは、私が冷蔵庫の食材チェックをしていたときのこと。

プロシュート(生ハム)の原木の端材が大量に冷蔵庫にあるのを見て、
「ははーん。これは捨てるやつだけど、ゴミ箱がいっぱいだから冷蔵庫に入れてあるんだな?」と勝手に思い込み、
先輩に確認もとらず、すべての端材をゴミ箱に捨ててしまったのです。
(今思えば、ありえないミス……猛省)

しかし実はその端材は、
ブロード(出汁)を取るためにストックされていたものでした。
つまり私は、貴重な食材を無駄にしてしまったのです、、、、。
(当時は無知すぎてプロシュートの端材でブロードがとれることを知りませんでした)

これに激昂した山賊ヒグマシェフは、私に近づくなり
「齋藤てめぇ!!!何してんだごぉらぁぁあああああ!」と怒鳴り、
サンジもびっくり、山賊仕込みの蹴り技のフルコースをお見舞いしてきました。

しかも、彼の履いている靴は【安全靴(足の甲に鉄板入り)】。
鉄板をまとった蹴りを私の足首の感覚が麻痺するまで食い続けました(料理だけに)。
あまりの大ダメージに、翌朝から片足を引きずって歩く日々が始まりました。

それでも私は仕事を休みませんでした。

そもそも自分のミスが発端ですし、
何より根性のない奴だと思われたくなかったのです。
今なら3秒で辞めますけどね。

令和の感覚だとにわかに信じられませんが、
当時は周りの料理人仲間たちにも負傷者が多かったものです。

彼らと電話した際、
私「元気?俺、シェフに蹴られすぎて靭帯損傷したわ」
友人A「マジ?俺はシェフに肋骨ヒビ入れられて入院してるよ~。見舞金10万もらえてラッキーだったわw」
友人B「俺もこの前、先輩にフルボッコされた。いてーの、いてーのって!」
友人C「シェフと大喧嘩してコック服破られたわ……どんな力やねん」

こんな“異常な会話”がカジュアルに交わされていたのです。

SNSが発達した現代では、さすがにかなり改善されたと思いますが、
当時の料理業界は水準の高いレストランほど、暴力が蔓延している印象がありました。
(あくまで印象です。もちろんお店によります)

話を戻します。
その後、負傷した私の片足はパンパンに腫れ上がり、痛みもMAX状態。
ついに歩くことすら困難になり、
病院へ行くと「靭帯損傷」と診断されて退職を余儀なくされました。

一ヶ月の療養期間を経て、次のリストランテに就職。
「イタリア現地のミシュラン三つ星レストランで働きたい」という想いから、
まずはその日本支店で働くことになり、暴力のない健全で楽しい料理人生が始まりました。
(パチパチ!)



その後、紆余曲折を経て、私はコピーライターになりました。
(紆余曲折パートは最終回で語ろうと思います)

広告業界では暴力を受けることがないので、
なんて民度の高い世界なんだ!と感動したのを覚えています。

こうして振り返ると本当に波乱の料理人時代でしたが、
そのときに培った経験が今の自分の大きな武器になっているのも事実。

暴力を肯定する気は微塵もありませんが、
自分を追い込むことでしか宿らないものがあることを学びました。

ということで本日のコラム
「暴力をふんだんにきかせた、ナンテコッタな1年間」は、これでおしまいです。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました!

明日のコラムは「Secondo Piatto(第二の皿)メイン料理」です。
ルネサンス発祥の地として名高い、イタリア中部・トスカーナ州フィレンツェからお届けします。

それではまた明日。
Ciao!

  • 年  月から   年  月まで