リレーコラムについて

3つのセブンスター

市川雅一

 

ボールとってください

その声に応えるように腰をかがめた次の瞬間、
子どもの声に続けて
子どもの母親が、こちらに呼びかけました。

おねえさん、ボールとってください

それは、僕の向かいから歩いてきている
女性の方に向けられた声でした。
僕の方が2歩分くらいボールに近かったのに、
母親に選ばれたのは女性の方だったのです。

その一言は僕と親子の幸福に、
永遠の隔たりを生みました。

 

たった一言で、人と人のあいだに
埋めがたい距離が生まれることがある。
それは身に覚えのある感触でした。

 

恥ずかしながら僕は喫煙者で、
五反野の自宅から徒歩1分の距離にある
たばこ屋さんに、週に一度通っています。

カウンターにおばさんが座り、
背後にタバコがずらっと並んでいる。
店内には洗剤などの日用雑貨も置いてある、
典型的な町のたばこ屋さんです。

 

僕はだいたい月曜日の朝にお店を訪れ、
ドアを開きこんにちはと挨拶をします。
「セブンスターのソフト、3つください」

するとたばこ屋のおばさんは「3つですね」
と呟きながら棚のセブンスターを
カウンターに3つ並べ
「はい、1,800円です」と言います。

僕はいつも用意している千円札2枚を渡し、
おばさんはお釣りの200円を返しながら
すこし微笑み「ありがとうございます」と言う。

この美しいほどに形式的なやりとりが
五反野に住みはじめてからの3年間、
毎週ずっと続いてきました。

 

しかし、その平穏は当のおばさんによって
ある日突然破られることになったのです。

 

その日も僕らはプログラミングされたように
セブンスター、3つ、1,800円、200円と
形式的なやりとりを重ねていました。

ところが、おばさんは何を思ったのか
お釣りを返しながら
「いつもありがとね」
と、定められた形式に唐突な変化を加えたのです。

 

それからは、すべてがなしくずしに
変わってしまいました。
僕が店内に入ると何も言っていないそばから
おばさんはセブンスターのソフトを手にとって
「3つね」と言いはじめるようになり、
僕は「はい」としか答えようがありません。

2千円を受けとり、200円を返すと
「いつもありがとね」と
どこか含みのある微笑で見送ってくれる。

常連といえば聞こえはいいけれど、
もうかつてのおばさんと僕の美しい形式、
プログラミングされた言葉の連なり、
適切な距離感はもう残っていませんでした。

 

おばさんはまったく悪くありません。
五反野は、善良なお年寄りと貧しい若者と
1人の下着泥棒しかいない小さな町です。
おばさんも、そんな町に住む五反野市民です。

「敬語を使ってください」
と言おうと何度も思ったけれど、
おばさんの所作があまりに自然なために
傷つけてしまう気がして言い出せませんでした。

 

人間のコミュニケーションでは
何を言うか、どう言うかの重要性は語られますが
どの距離感で言うかも大切な要素です。

親しい人との符牒のような話し方があり、
どんなに親しくても一線を画す話し方がある。
声の大きさや単語の選び方、呼吸の仕方まで
緻密な設計でコミュニケーションの距離は成立しています。

僕とおばさんのあいだにあった言葉、
やりとり、距離はもうすでに失われたもので、
はじめに「敬語を使ってください」と言い出せなかった僕に
ふたたび適切な関係を恢復することは望めません。

 

僕の大好きなアイルランドの詩人、
イェーツのこんな作品があります。

「ずっと昔 私が言ったこと したこと
あるいは 言いもせず やりもしなかったが
言ったり したほうがよかったのに と思ったことが
いま 私の心を 重く押しつける」
(新潮社「世界詩人全集15」大浦幸男訳)

 

去ってしまった過去に
重いもやもやを感じながら、
僕は今週も3つのセブンスターを買いに
たばこ屋に足を運んでいるのです。

 

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