リレーコラムについて

広告が、目に染みる。

小池光洋

 よく映画や漫画のエロ親父が「身体は正直だからなぁ、ぐふぐふ」みたいな台詞を言ってますよね、これ、とってもいい言葉だと思います。人間は身体に正直じゃなくっちゃいけません。身体に嘘をついてまで律せられる理性は、まるで狂った文明のようです。身体の思うままに発せられる助平丸出しの感情は、粋な文化に通じてさえいます。文明が肉体の生々しさを隠そうとすれば、文化が本能の生々しさを露わにする。多くの芸術が猥褻や残酷という咎で摘発されているのは、文明が文化を摘発しているという構造なのではないでしょうか。文明と文化は、まるでマッチとポンプのようです、ぐふぐふ。
今回の中国の迷走も、四千年の文化を誇る中国が文字通り「文化大革命」を経て文明優先の国になりはてたことに由来するとは言えないでしょうか。
 文明とは肉を肉らしく見せないこと。たとえばハンバーガーのパテ。文化とは肉を肉らしく見せること。たとえば日本の活け造り。文明としての料理は空々しく隠された死体であり、文化としての料理は美しく飾られた死体であると言い変えることもできるでしょう。
永谷園のお茶漬けのCMが不快だ、という発言が新聞に投書されたことがありました。曰く「音をたててものを食べている姿を、 食べている音までそのままに映像に乗せるのが是か非かという話なのである」と投稿者は書いています。
 食べるということは、残酷で、醜くて、汚くて、だから素敵なことなのです。その素敵さをぬけぬけと描いた永谷園のCMは、それ故に名作でありえた。それに対し、せっかく隠したはずの「食」の本能を、お茶漬けをすする「あの音」が露わにしてしまった、と怒る人々もいたわけです。文明人が嫌う「生々しい食欲」を露わにすることが、すぐれた広告の技術です。そんな広告に触れた時、人は本能の仄暗さを知り、肉体の悲しみを思い、他人の痛みを共有することになるとしたら、そしてヴァーチャルをリアルに引き戻せるとしたら、戦争や暴力や憎悪に対して広告ができることはまだまだありそうです。だって「食べたくなるなるケンタッキー」って言われたら身体が正直になっちゃうじゃないですか・・・。

(明日も、広告と本能の関係について、もうちょっとだけ踏み込んでみたいと思っています。)

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