リレーコラムについて

実家が職員室

小堀友樹

 

佐藤さんからバトンを受け取りました、電通関西支社の小堀と申します。
これから一週間どうぞよろしくお願いいたします。

私は、父と母が中学校教諭、姉2人が小学校教諭という職員室みたいな環境で育ちました。
自然と私自身も先生を目指すようになり、大学で中高の美術免許も取得したのですが、最終的には広告業界へと進むことになりました。

 

なぜ、諦めたかと言いますと、教育実習で心をへし折られたからでございます。

 

教育実習先として、自らが通っていた中学校にお世話になることになったのですが、私が通っていた時期、少し校風が、自由闊達といいますか、ゴッサムシティのような感じになっておりまして、例えば3階のトイレは、随所にカスタムが施され、喫煙所として利用されておりました。Apex Legendsのバンガロールでもいるのかなというくらい室内は煙でモクモク。床には全面スノコが敷かれており、自由に座ったり、寝転がったりできるようになっておりました。

 

天空の城ラピュタでは、空からヒロインであるシータが降ってきましたが、私の母校の場合は、空を見上げたら、陶器製の小便器の仕切りが降ってきました(青空を背景に宙を舞う小便器の仕切りはとても綺麗でした)

野球部の友人の金属バットが、朝青龍にそっくりの番長に他校との抗争の武器として徴収され、へこんで戻ってきたこともあります。

 

万引きも横行しておりまして、「烈火の炎」全33巻をお腹に詰めて万引きをしている人もおりました。

 

地元には由緒正しいお寺がいくつかあるのですが、寺を継ぐ予定の住職の息子さんが「弁当箱サイズの消しゴムを万引きした」と自慢していたこともあり、諸行無常を感じたものでした(その子は今は立派にお寺で勤められているそうです)

 

先生達は、生徒がいつ暴れ出すかわからないので、常にインカムを装備し、その姿はエージェント・スミスのようでありました。

 

そんなマッドマックス的な世界観で、波風を立てぬように枯れ木のごとく過ごしてきたわけですから、教育実習に際しても不安でいっぱいだったのですが「あれからずいぶんと経つのだから」とえいやで実習に向かいました。

 

嫌な予感はもちろん的中し、久しぶりに訪れた中学校は、生徒によってNYさながらのグラフィティが壁に施されており、よりゴッサムみを増しておりました。

 

担当となるクラスで自己紹介すると、すぐさまヤンキーに袖をグイッと引っ張られ、「え、なになに?何ですか?」と途中から敬語で尋ねるも完全にシカト。

 

そのままひきずられ続け、無理やり腕相撲をやらされることに。

 

3秒で負けました。

 

もちろん、そこからは呼び捨てであります。

美術の楽しさを伝えたいと一生懸命授業をしても全く話を聞いてくれません。

何の意味があるのでしょうか。制汗剤AXEの缶を引きちぎり、尖った金属片で一心不乱に壁をガリガリと削る生徒を見て「脱獄犯がやるやつ……」と心が完全に折れ、先生の夢を諦めて、広告の道に進むことにしたのでございます。

現在の職場は、打ち合わせしながら金属片で壁を掘っている人もいませんし、窓から便器の仕切りも降ってこないし、とっても過ごしやすい環境です。

 

久しぶりに母校を調べてみると、検索候補として、

偏差値 ヤンキー 有名人

と表示されました。広告の道を選んで本当に良かったです。

長々と申し訳ありません。
これから一週間どうぞよろしくお願いいたします。

 

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